その答えはちょっとこっちに置いといて、みなさんに少し哲学的な話をしたいと思います。

哲学や心理学や精神医学の世界で「自分とは何ぞや」という問いかけを古今東西、営々とやってきました。

それでも答えの得られないむずかしさの壁を、精神医学の世界ではたやすく越えてしまったといわれています。

それはどういうことかというと、自分というものを、ふたつに分けて考えるのです。つまり「自己」と「自我」です。

「自己」とは行為している自分。つまり今なら、このブログを読むという行為をしているあなたです。そして

「自我」とは、読んでいるあなたを、もうひとりのあなたが観察していると思ってください。「このブログ、つまんない」

と思いつつ、つい読んでしまってる私がいるわ」と自分を観察する力です。

つまりおとなの人間というのは、行為しながら、その行為している自分を冷静に見つめる力を持っているのです。

よく「うちの子、3歳になって自我が出てきたから」なんていうお母さんがいますが、それは自我なんかじゃありま

せん。単なる自己主張です。また「あの人は頑固だ、我が強い、自我が強いんだ」ということもあります。

これも自我なんかじゃあありません。頭が固くなっているから、一方的に自分を主張しているだけという場合です。

統合失調症の患者さんは、自我が弱いといいました。つまり自分の行為を冷戦に観察することができません。

「2~3日前から、私の悪口を言っている声が聞こえるようになったんです。最近、仕事に自信がなくてね、

なんかひがみっぽく感じることが多いんです。こころが疲れているのかなあ。悪口言われるようなこともして

いませんから、被害妄想でしょうかね、わたしってこころ病んでますね」などという患者さんはいません。

いきなり「盗聴されてる。悪口言う人がいる。なんとかしてください」です。

また思春期以前の子供にも、まだ自我というものは発達していませんので、自分の行為を見る力がありません。

自我の役割をはたしているのは、お母さんです。夢中で外で泥だらけになって遊んできて、帰ったらお母さんから

「まあ、楽しそうに遊んできたわねえ」といわれることで「ああ、外で思う存分遊ぶことは、楽しいことだし、それは

お母さんも喜んでくれてるから、いいことなんだ」と感じるわけです。そうやってお母さんを喜ばせる行為から

自分の自我をとりいれていくわけです。

それが思春期ともなれば自我ができてきてますから「少しは外で遊んでらっしゃい」とお母さんから言われても

「うるせーぇ。そんなことは俺の好きなことじゃねぇぜ。ほっといてくれ」になってしまう。何をしたら楽しんでいる自分が

いるかということがわかってくるから、もうお母さんの指図や評価がいらなくなってくるんです。

お母さんの仕事は指図や評価ではなくて、本人の気持ちを最大限尊重してあげることだけです。そうやってまだまだ

不安定で未熟な自我が育っていくのです。

こうやって「自我」というものをキーワードに、子供や患者さんのこころの成長や成熟度を考えていく精神医学というのは

むつかしい哲学にはない、現実的でしかも誰にでもわかりやすいという点で、とても優れた面を持っています。

This entry was posted on 日曜日, 8月 24th, 2008 at 21:44:08 and is filed under メンタル ヘルス. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. Responses are currently closed, but you can trackback from your own site.

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