11月 17th, 2008

昨日の新聞にこんな相談が載っていた。

「週3日パートで働いています。上司に年休をください、と言ったら

そんなもん無い、と言われたが無いのでしょうか」

答え;

どんなに日雇いであっても、週一日であっても週3日であっても、6ケ月

以上働いていれば年休が発生します。日数は週5日働く場合の比例の

日数です。

その答えを見て、目からウロコであった。

私は三ケ所で週2日とか1日とかのやり方で働いている。

フリーの精神科医もかっこいいと思ったのだけど、労働条件やら人間関係やら

考えるときびしい。

こんなに大きく複雑な組織の中にあって、誰も守ってくれる人がいないし孤独だから、

強靭な精神力がいる。とにかく孤独に強くないとやっていけない。

年休などもないと思っていたので、この一年半というもの、ただの一日も休みをとって

いなかった。

週2日しか行っていないところを一日休むと半分休むことになるので、

仕事におおいいさしつかえる。

権利以前に とると支障が出る。それに日雇いだと給料が減るし。

でも、権利はあるのだからと思い、今日職場に行って聞いてみた。

副院長に「日雇いだから、そんなもんないでしょう」といわれカチンときた。

事務所に行って聞いたら「あるかもしれない。でも詳しいことはわからないから

調べておきます。先生は二ケ所で働いているからこちらはだめかも」と言われた。

「二ケ所ってことは関係ないでしょう。それぞれの職場における権利でしょ」と

言ったら

「だから調べるって言ってるんです。わたしたちだってわからないから調べて

おきますよ!」って逆キレされてしまった。

逆キレされる筋合いもないでしょうに。

悔しーかった。ぜったい休みをとってやる、と決心した。

看護師さんに「ねっ、ねっ、こんな事情だから助けて。ぜったい取るから協力して」

と言ったら「わかったわよ」って言ってくれたのでうれしかった。

11月 13th, 2008

裕福な暮らしで何不自由なく暮らしていた人が、

ご主人が突然亡くなられ、婚家先から身ひとつで追い出された。

住む家がなく、お金もなく親類の家に身を寄せ、その上、ねむれなくなって病院通い。

ずっと専業主婦でおられたから、働ける見通しも暗い。

そんなとき「これ以上、落ち様がないですよね。どん底です。。。」と涙される。

でも私は言う。

「えっ? どん底ですって? 甘い甘い。まだまだどん底じゃないよ」

患者さんは怪訝な顔をする。

わたしは言う。

「まだまだいくらでもどん底は訪れるよ。交通事故にあう。重症の病気を宣告される、子供さんが病気になる。

骨折しただけでも、今より底だよ。まだまだいっぱい悪いことは起きるのに、どうして 今がドン底だなんて言えるの?」

言われてみて初めて気づく。

そうだ、まだ あれもある、これもある、どんな仕事でもして働けるカラダがある。

          ☆       ☆        ☆

じゃあ、今恵まれている人は、どん底にはほど遠いだろうか。

いえいえ、そんなことはありません。

みんな、自分の置かれている今の状況を基準にします。

だからどんなに恵まれていても、何かが起きると「どん底気分」になるのは、みんな同じ。

 だから 小室哲哉さんも詐欺で逮捕されたんです。そういう意味ではみんな平等です。

どんなに才能があっても、お金があっても、その人にとってはその場所が基準だったからです。

だからそこから少しでも落ちると、どん底気分になって欲ばってしまったり、焦ってしまうのです。

           ☆      ☆      ☆

今みなさんが、どんな立ち位置にいようとも、もっと悪いことは起きます。

テレビで毎日放映されているニュースは、あなたにも起きることです。

そして、悪いことにはかぎりってものがありません。これでどん底が終わりっていうのはないんです。

 だからこそ。

自分が今、持っているものを確認して感謝する習慣を持つことがとても大事です。

たえずそうしていないと、人間って不満や不足や不安を持つ動物だと思います。

なんにもなくなるとき(死ぬとき)でさえ、残せるものがあるそうです。

それが何か、について考えることもするといいと自分でも考えています。

11月 11th, 2008

何事も、治りの悪いときやうまくいかない時には、初心に返ることが一番だ。

心の病気を治すときにも、基本をおろそかにして、早く早くとあせるから治りが悪い。

治りが悪く長引くほど、こじれているから、ますます始末が悪くなる。

口を酸っぱくして言っても、わかってくれる人は少ない。

しかし、自分のこととなると話は別。

自分がこれほど自分をわかっていないとは思っていなかった。

熟年になってから始めたとは言っても、器用だし飲み込みも早い。

それに、3年もしないでショパンの夜想曲原曲を弾けた人なんて、まあいないだろう。

自分を評価していたが、実力がなく形だけだった。おとなだからってプライドばかりが高いのだ。

いや、ピアノの話である。

早く上手にとあせってばかりで、実際は中断につぐ中断、今ではドレミくらいしか弾けない。

とうとう観念した。

バイエルなんて、と 馬鹿にしていたが、そのバイエルの初歩の初歩から始めることにした。

5、6才の子供がやるところである。

それでもいい、いや、もう それしかないと観念した。

8年もたって、ようやく納得したなんて、馬鹿みたいに回り道した。

病気が長く治らない人も、こんな感じになっているんだろうなと思う。

♪♪どれみふぁそらしど♪♪・・・・・・と弾いていると、易しいので気分が良い。

いらいらすることもない。

やはり「自分を知る」「初心にかえる」大事なことだ。

仕事では「わたしは出来ません」と言えない場所にいる。偉そうにしている。

だからこそ、こどものように、若い先生に注意されたりしかられたりしながら、ちいさな子供と肩を並べて

「生徒」になって「学ぶ」時間が貴重だと思う。

何より楽しみながら。

11月 4th, 2008

今日、病院に行ったら、何人かの内科の先生が「講演面白かったよ」と

言ってくださった。あまりたくさんの先生方に言われたので、

とてもうれしかった。苦労が少しは報われたかな。

一般向けや看護師さん向けの講演はたくさんしてきた。でも現役の先生方が聞いて

くださるほど、私の名前は有名ではない。やっぱり教授級でないと聞いてもらえない。

 だから今回、だいぶ気合いを入れたし、切り口に工夫した。

一般向けは正直言って、やりがいがない。

だって、心底自分を変えようと思って聞いてくれる人なんか誰もいない。

ちょっと面白く話せば「おもしろかった」でそれで終わり。所詮は他人事である。

でも現役の先生方は毎日の診療にどう生かしたらいいかと思い一生懸命である。

 同じ医療に従事していても、身体科と精神科ではアプローチがまったく違う。

まったく違った言語で診療している人にどうやったら伝わるか。苦心した。

医療の世界は患者さん相手の仕事なのでふだんから「自分の言語でなく、相手の言語で話す」

能力が必要だ。

でも、講演となると、さらにその能力が必要になってくる。

これからも、もし講演する機会があったら、「自分の知識を、相手の言葉で伝える」

という工夫が必要なんだとあらためて知りました。

これって、どんな人間関係にも言えることかもしれない。

精神科の診療で学んだことは、どこでも誰にでも通用できる面白さがあると思う。

10月 13th, 2008

三連休の初日に、図書館へ行った。

ロビーでパン屋さんが店開きしていたので、フランスパンのオープンサンドを昼食に。

そこまでは良かった。2時にまた、メロンパンとあんパンを食べて大満足。

夕食にはおなかが減っていなかったけど、夫に夕食を作って一緒に食べた。

お風呂にゆっくり入り、10時半にはもうベッドへ。ぐっすりねむった。

その何が悪かったのか、その時にはわからなかった。

翌日起きてみると、激しい頭痛と吐き気で起きあがることができなかった。

頭痛と吐き気で七点八倒の苦しみは、なんと丸一日中続いたのだった。

抗がん剤の副作用で苦しいと言われる方もこんな風なんだろうか、と苦しみながら思った。

          ☆       ☆       ☆

2年前に心臓病の薬を服用するようになって、弱い胃がさらに弱くなった。

今回はどうっていうことのない フランスパンが胃に答えたらしい。要するにパンの食べすぎ。

あるいは夕食をやめればよかった。でもその時にはどうもないので気づかない。

こんなことがしばしばあって、ものすごく気をつけているつもりだが、止まらない。

胃を全摘したくらいのつもりで食べていると問題ない。でも そんな手術をやっていないから 

つい忘れてしまうのだ。

36時間も寝ていたら、胃はやっと良くなったが、今度は肩が凝ってきた。

寝ていても肩がこるってどういうこと?って 思ってしまう。

最近、遅ればせながら自分の弱みがわかってきた。

胃が弱いこと。肩から背中、腰の筋肉までが 張っているから 疲れやすいのだということ。

だから 少量の食べ物を よく噛んでゆっくり食べること。運動を続けること。毎日プールに行く。

それを守っていたら、元気でいられる。

健康食品はいらない。その2つで 十分なのだ。それがわかってきた。

今まではどうしてこんなに弱いのだろうと嘆くばかりだったが、最近やっとつきあい方がわかってきた。

自分の弱みを知ると、自分のカラダがいとおしくなる。大切に扱いたくなる。

最近は嘆くことがなくなって、「大切に使ってやるね」と自分のカラダに声かけている。

夜ふかしもパソコンも遠出もしない。つまらない人生と思う人もいるが、明日の活力のほうが大事。

あら!でも考えてみればホント つまらない人生だこと!!

10月 11th, 2008

具合が悪いというと「医者の不養生ですね」とよく言われる。

でも、今や「医者の不養生」なんて言葉は 死語であることを知らない人だ。

不健康な医者なんて、プロ意識を問われてしまう時代である。

というわけで、わたしもお医者さん大好きである。

というよりか、気が小さいので、大事になる前にわかったほうが安心だし。

だからこまめに医者にいくし、ドッグにも行く。

早め早めなら、大事になっていないと思うから。

腰痛の時だって、レントゲンで異常がないか確かめてからでないと、筋トレはしなかった。

とにかく、医者は早め早めに行くにかぎると思っている人である。

自己流で軽く考える人の気が知れない。

  (そのせいで、夫も結婚してから、いくつの病院に行かされたことか! 本人は大変だと言っているけど

  感謝されてもいいのにね)

でも、引越してから新たな歯医者に行くのが怖くて、のばしのばしにしていたら 二年もたってしまった。

友達に先に行ってもらい、優しい歯医者だと確かめた上で、思いきって行ってきた。

歯なんて痛くも痒くもないのに、何か言われるのが怖くて定期健診に行くさえビビルのだ。

どこも悪くないと言われてほっとした。

むし歯より、歯周病のほうがずっと危ないんだって。

一年に一回は来てくださいね、と言われた。

でもきっと半年に一回くらい行くと思う。

お医者さんが大好きだからか、怖がりだからかわからないが、本当にまじめに通院する。

よく患者さんが「忙しくて来れません」とおっしゃる。

わたしみたいに休めなくて忙しい人でさえ、病気にだけは勝てないと思っているからきちんと行くのに、

忙しい、忙しいという人の気が知れない。

健康がなかったら、何もできないのにね。

友人が「顔より髪より歯よね」という。

一生、自分の歯で食べようねと友人と約束している。

みんながこんな意識だったら、国の医療費もどれだけ節約できることだろう。

「自己流はだめ」「早めに行く」「健康は自分の努力で」を ぜひ 習慣にしてみてほしい。

医者も助かる、本当に。

重い病気を診るのはね、本人も大変だろうけど、診る医者も辛いし責任も重いし実は大変なんだよ。

10月 8th, 2008

同じ診療所で働いている女性医師(女医さん、という言葉はきらいです。

だって、男医という言葉はない。男性医師、女性医師です。女医さんという

言葉、使わないでくださいね)は 循環器の専門医です。

心臓カテーテルなんか鼻歌まじりで入れちゃいます(「鼻歌まじり」は私の修飾語

です) とにかく器用な人でバリバリ活躍していたそうです。

その先生、今は診療所でお年よりの往診を専門にして働いています。

「先生、満足して働いていますか」との問いに対して、

「満足しているんだけど、手を使えないので うずうずしていたの。

ところが最近、三味線を習い出したら(若い女性の先生ですよ) 手を使えるので

急に満たされるようになったの」とのこと。

「えっ?心臓カテーテルが 三味線に変わっても、満足できるの?」

「そう、なんだか満足できるの」そう おっしゃるんです。

ふたりで笑ってしまいました。

ホント。バランスって大事なんですね!

10月 6th, 2008

わたしは、人生の目的はしあわせになることだと思っていた。

しかし「悩む力」という、今売れている本を書いている作家が雑誌に出ていたので読んでいたら

「人生の目的はしあわせになることではない」という。

しあわせなんていうものは、美味しいものを食べたとき、美しい景色を見たとき、友人と楽しく

語らったとき、そんなささやかなことの積み重ねで得られるものだ。

人生の目的は、そんなささやかなしあわせを目的とするのではなく、「生きている意味」を

それぞれが求めることだという。

わかったような、わからないような話である。

「悩む力」などという本がよく売れる理由も私にはわからない(といっても私も買ったのだが)

私がその本を買ったのは、何か講演のヒントにならないかと思って。

わたしは、自分が生きている意味を求めて、辛い仕事だと思いつつ、毎日診療を続けている。

それだけに飽きたりなくて、講演をしたり原稿を書いたりして、苦しんでいる。

お金にもならず、苦労も承知で、そんな余計なことをしている理由は、人生に意味を求めているのかも

しれない。

また、こんなブログを続けているのも、人生に意味を求めているせいかもしれない。

精神科医などという仕事は、誰にでもできるものではないし、続けられるものではない。

だから そういうすべてを考えあわせれば十二分に、人生の意味をもとめている、それを果たしていると思う。

だけど、それがしあわせかというと又別である。

わたしは、人生の目的は やっぱり しあわせになることだと思う。

人生に目的を見出したい、意味を見出したい。生きた証を見つけたい。

そう思えばそうすればいい。自然にそういう風になっていればそれでいい。

だけど、ささやかなことにしあわせを見つけることも能力のいることだ。

「人生に意味を求める」などという うさんくさい考えはきらいだ。

わたしの講演では「悩むことは人生の必須事項だ」という内容なんだけど、でもその目的は

人がしあわせになるためである。

機嫌よく暮らし、楽しいと思う時間を持ち、なかなかしあわせな人生ジャン!と思えるように

生きることは、十分に人生の目的になると思う。

9月 24th, 2008

今日の新聞によると、専門医が学校に出向いて講演活動をすることで

エイズや性病、喫煙、などに対する啓蒙活動を国が進めているという。

国の施策の中で、若い人を教育啓蒙する施策は国の将来にとってもっとも

重要だとわたし自身は考えている。

先日、勤務先の病院で講演をした。

この病院では、毎週いくつもの講演があって、職員は辟易していると思うので

出席者は少ないと思ってはいたが、それでも 750人の職員で、50~60人の

出席は少ないと思う。

研修医や精神科の関係者にもっと関心があると思ったが、以外に関心がないので

がっかりした。

聞いてくれた方には感謝しているのだが、それでも、聞いてそれでおしまい。

次につながっていくことはほとんどない。

「面白かった」か「面白くなかったか」どちらかの感想があってそれで終わり。

それにくらべ、中学生なり高校生なりに講演したりすればその効果は測り知れないと

思う。

講演というのは、わたしにとっては時間的に無理なところがあるのだが、今までの

経験では 新聞の連載が、時間が必要でないわりに効果が大きい。

誰の目にも触れるし、若い人も読んでくれる。

なんとか新聞に連載してもらえるような格調の高い原稿を書きたいのものだと

思う。

新聞の連載は、10年前に2回と、3年前に一回。今回の引っ越しでまた

機会が遠くなってしまった。

今後の私の志高い夢であるが、実現するかどうか・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぜひ実現させたいものだと思う。

9月 21st, 2008

わたしは「優しさ」にとても敏感だ。

なんでだろう。。。。。。わたし自身が優しい人かどうかは棚上げしておくとして、

「優しさがあるかどうか」で 人を評価する強い癖を持っている。

なんでだろう・・・・・・・・・心の弱っている患者さんを診ている長年の習慣からだろうか、

それはあると思う。

それとまた、私自身がとても傷つきやすい面を持っているからだろうか。

それもあると思う。

「優しさ」って相手に対する想像力が必要。

きっと、最初は誰も持っていないのだけど、いろんな辛いことや悲しいことや後悔やいろいろを経験する中で

相手の立場に立てるように成長するのだと思う。

「この人、優しくない」と思うとすごい拒否反応をおこしてしまう私もちょっと度が過ぎるかなあと思う時もあるけど。

でもまあ、恵まれている人は、往々にして「優しさ」はないね。

これは断言してもいいと思うよ。

肩肘はって強く生きている人も、優しくないと思うことがある。

「その一言」で、優しいかどうかわかることがある。

言葉って大切にしなくてはとつくづく感じる。

ちょっと過敏すぎるのかな、ちょっと気持ちが弱っているのかもしれないな。

でも、そんなどうでもいいことに一喜一憂している弱い自分のことは、

ぜんぜん嫌いじゃない、未熟でかわいくって好きです。