9月 15th, 2008

三連休、一日8時間くらい、パソコンに座り続けた。

なんのことはない、講演の原稿書きだ。この3連休を当てにしてたんだ。

最初は疲れたけど、3日目になったらすっかり慣れて、作家気分だ。

こころの問題って、言葉にするのに、何てむづかしいんだ!

苦しくて楽しくて、楽しくて苦しくて、苦しくて楽しくて、そして苦しくて脳が疲れて、でもまたやって。

突然、強力な助人があらわれた。

男友達っていうのかしら。男性と女性って 物の見方がぜんぜん違う。

原稿を見てもらって、意見を言われたら、書きあげた原稿が足元から崩れた。

ダダダーンって。

なんてこった!!

でそうやってごちゃまぜにすると、脳がかきまわされて、また新しい切り口があらわれる。

でもそれでいいんだ。それがいいんだ。

それがわたしの言いたいこと、そのものなんだから。

だってそうでしょ? これでいいってことないのが「心」のことでしょ?

ダ!

 「こころには実態がない」と言ったら「じゃあ こころ、こころって 安易に使うな」って言われたんだ。

じゃあなんだ、なんの問題だ。

人生の問題だ。生き方の問題だ。

どうやって生計を立てて、どうやって仕事して、どうやって家族して、どうやって死んでいくかっていう問題なんだ。

そうなんだ。時間の使いかた。同僚との関係の持ち方。家族との過ごし方。お金の使い方。

「ここ・・・」う、う、 こころ、こころって 実態のないものを 気安く言うなって 自分に言い聞かせて。 

使い古された言葉を使うのは、出来るだけ よそう。

興味深い一日だった。

8月 13th, 2008

こころの病気とは何か? 

のところで、いまだに自分なりの解答が出ずに苦しんでいる。

パニック障害なんていうのも、こころの病気ということになっているけど

交感神経の緊張が続きすぎたあまり発症する体の反応だ。

精神科で治療はしているんだけど、でも、本当に心の病気なんだろうか。

ストレスが続いたからだと言われたらそれまでだけど、ストレスなんて心身に対して

くるもので、心にだけくるわけじゃない。

反対に、殺人事件なんかをおこした少年、青年なんかは、「これは病気のせいではない」と

言われる。

たしかに病名のつく、精神的疾患はない人がほとんどだと思う。

だけど、両親とさえ、ちゃんとした会話や話しあいができず、気持ちの交流が

できない人、ゲームやパソコンにばかり依存している人が 本当にこころが健康

だろうか。こころが健康なんかじゃあ、ぜったいないと思う。

でも、精神科には来ないし、治療の対象にもならない。

ストレスが体の反応として出たパニック障害がこころの病気で、

簡単に切れて事件をおこしたり、不健康な生活を続けていたり ひきこもったりする人が

こころの病気ではないと言われる。

わたしとしては それって 反対じゃないか と思ってしまう。

でも、きちんと大衆を説得する理論をわたしは持っていない。能力はない。

だから はがゆい。

たとえば、事件を起こした人が、起こす前に精神科に来たとする。

事件を起こしそうでこわい、と真剣に悩んでいたら相談に乗れる。

だけど、親が無理に連れてきても、相談にはならない。

ということは、「自分の問題に気づき、自分の問題を考え、解決していこうとする気持ち」

がある人は、問題や症状があっても健康的だと思う。

悩む能力があるってことは健康的な証拠だと思うが、現代では 悩むのはだめな

ことになっている。悩まず、楽しく、プラス思考で。。。というのが、良い生き方ということに

なっている。

治療するかしないかは、悩んでいるかどうかでなく、精神症状があるかないかだけなんだ。

支離滅裂なことを書いてしまった。

私の書いたことをわかってくれる人は、少ない。知識があり、自我も確立した人でないとわかって

もらえないと思う。

でも、本も講演も、知識のない人に対してわかってほしくてやるわけだから、私が本を

書いたり、講演をする能力は、今のところないと思う。

だからずっとこのところ悩んでいる。

 でもわたしの論理からすると私自身は「自分には力がないからと悩んでいる」ぶん、まだまだ

健康的で救われる可能性があるということになる。

こころの問題は抽象的なので、お気楽に仕事だけしているぶんには、むつかしくないかも

しれないが、こだわりだしたら、何がなんだかわからないむつかしい仕事である。

8月 12th, 2008

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都会ではカーシェアリングが 普及しているという。

都会で車は一家に一台も必要ない。一台を何人かで使おうという考えだ。

私の友人の娘さんも、東京で家賃8万のアパートを、ボーイフレンドでもない男性とシェアしている。

古い考えの人から見たら「??」だが、合理的で私には共感できる。

          ☆       ☆      ☆

さて私は最近、クリニックをシェアすることにした。

わが家から車で5分のところに、可愛いログ風の内科診療所があることを知った。

オーナーは素敵な女性で、女性同士ということで、あっという間に 交渉が成立した。

内科医が往診で出かけているときに、診療所とその職員を貸してもらおうというわけだ。

こんな素敵なクリニックを自分で建て、職員を雇うことになったら、一年の7割は建物と職員の給料のために

働かなくてはいけない。 「院長」という名誉のために、引きかえにするには重い負担だと思う。

また宣伝のために、けっこうあちこちの会合に出なければいけない。それも負担だ。

私が三度目の開業をする気持ちがまったくないのは、そんな理由だ。

 でも、建物と職員をシャアすると、診なければいけない患者数は半分ですむ。

7月からそんな形で、週に一回だけ診療を始めたが、昔の開業時代を思いだしてなつかしい。

診る患者さんの数が少なくてすむので、満足がいく診療ができると期待している。

レストランや食堂でも、新装改築すると、中身は必ず落ちると相場が決まっている。

経費を抑えた事業ほど、働くほうも無理しなくていいし、中身も濃くできる。

医師は「一国一城の主」を夢みて開業するが、診療報酬は低く、必ずしもそんな時代じゃないってのは知らないのね。

やっぱりわたしは、時代の一歩先でなく、半歩ほど先をいつもいっていると思う。

木の香りがする、とても温かい建物。

どんな風に展開するか未知数ではあるが、自分の考えで人生を進めていくのは楽しい。

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7月 23rd, 2008

せっかくの三連休に、パソコンから離れられず、講演の原稿に執着していたせいで

連休明けの気分がすっきりせず、なんとなく ゆううつ。

休日の過ごし方が悪いと、休み明けの気分がスッキリしない。

こんなに仕事のことなんかに執着しないで、本当はもっと好きなことばかりやっていたら

そのほうがずっと人生は楽しくてラクだろうに・・・・・・・・・

出かけたり、ぱーっと遊べればこんな気分には。。。。。と悶々としていた今日。

新聞で 直木賞作家の井上荒野さんのインタビューを読んだ。

       ☆      ☆      ☆

井上荒野さんは 故井上光晴さんの長女さん。

お父さんが生前、言っていた言葉にこだわり続けて今があると語っていた。

その言葉とは。

「人は、ただ生きていてはいけない。客観的評価やお金に関係なく、

自分の心の一番たいせつな部分がかかわっていると信じることができる何かを

見つけなければならない」ということだったという。

怠慢な自分が失敗し続け、体を壊してまで書き続けたのは 父の言葉のおかげだと。

         ☆     ☆     ☆

たいした能力もないのに、わたしが講演や著作にこだわるのも

きっとそれが わたしのこころの一番たいせつな部分にかかわっているせいでは

ないだろうか。

きっとそうだ。だから遊んでいるほうが ぜったい楽しいと思えるのに、

今の苦しさから 逃れることもできないのだ。

診察は本当に好きだし、能力もそれなりにあると思う。

しかし講演や著作の能力は 謙遜ではなく それほどない。

それでも こだわるのは たぶん、そういうことなのだろう。

きっと、「ああ 努力しといて良かった!」と 納得する日もいずれくるかも。

今日は そういう オチを 自分に用意して 納得したのであった。

7月 14th, 2008

統合失調症の治療に「作業療法」っていうのがある。

なんということはない。

病気療養中の人が、ぼけっとしていてもロクなことはないので、みんなで遊んだり、

畑仕事をしたり、クッキーを作ったりして過ごす、それだけのことである。

それが、けっこう治療的になって 良くなっていくのだ。

       ☆     ☆     ☆

でも、このわたしだって、同じように毎日「作業療法」を受けている。

だいたいにおいて、わたしの仕事も「作業療法」を受けてるようなものだ。

昨日は休日だったけど、実にしまりのない一日だった。

月曜日に、こうやって「作業療法」に来れるから、健康でいられるってものだ。

ただ私の場合「作業療法」という治療にくる場所が、たまたま病院だったなんて 

ダシャレにもならないよ。

近くのみんなを見ていても、若い人は「作業療法」で仕事に来ているけど、

仕事のない人も、ゴルフ、畑、○○教室、ジム、ゲートボール、庭仕事、図書館・・・・・・

どこか毎日行くところがなかったら人は生きていけない。

毎日行くところがない人も、旅行したり観光めぐりをして場所を変えないと生きていけない。

このあたりでは自宅と別荘をせわしなく 行き来している人もいる。

誰も彼も、みん何らかの形で、「作業療法」を受けていなかったら生きていけない。

まあ みんな同じですね。

「作業療法」の内容と場所が違うだけで・・・・・・・・・

         ☆      ☆      ☆

夫は明日から 三重の海で 釣り三昧ですって。

このひともまあ、いつも何かしてないと落ち着かない人だから。

鮎のように ひらひらひらひらと しっぽ動かして 泳ぎっぱなしでないと

落ち着かないんですって。

7月 4th, 2008

週で一番忙しい日がある。

8時半前に出勤。8時45分から12時半まで、患者さんを2~30人診察。

昼食をとって休み、午後は病棟まわりをするのだが、総合病院の対診依頼なので

知らない病棟の知らない患者さんを数人診察する。これが結構気疲れするのだ。

3時からまた外来患者さんを5~10人診て、あとは職員の相談にのったり

書類を書いたりする。

パートなので 仕事さえすめば 5時に帰れる。必至でこなして5時すぎに帰る。

         ☆      ☆      ☆

心臓病をもっている私は、このハードな日、からだがもたないので 朝、安定剤を

服用することにした。

症状に変わりばえのない お年よりを診る時間は すこし頭をぼーっとさせておかないと

夕方まで エネルギーが続かないからだ。

それをするようになって なんとか 夕方になっても 疲れが残らないようになった。

ところが ずーっと私についてくれる看護師さんは「最近 元気がない」という。

安定剤で ハイテンションをおさえているのが、「疲れている」ように見えるらしい。

私の仕事ぶりを一日見ている看護師さんでも 他人の疲れはわからないのだと

不思議な感慨に襲われた。

仕事と家事に追われた妻を目の前に毎日見ていても、殿方たちは 本当には

妻の大変さがわかっていないことが多い。それと同じだ。

最近、ハードさを訴え、過労死するかもしれないので 改善してほしいと訴えたら

院長から「過労死する前に、やめてほしい」と言われたという医師の話を聞き、

どこかの偉い大臣が「過労死は自己責任だ」とまで言う気は、もうとうないにしても

ある程度、自分で守ることも必要だと思う。

メンタル ヘルスに関心があり、この秋、3つばかり 講演の予定がある。

7月 4th, 2008

私のライフ スタイルは、「ライフスタイルがない」のが特徴だ。

相手に合わせ、状況に合わせ、趣味でも食べ物でも変えてしまえるので

かって子供たちから「カメレオン」というあだ名をつけられていた。

第一、食べ物の好き嫌いは、まったくない。本当に何ひとつない。

私が食べれないものを見つけたら賞金を出すと常々言っている。

わたしが50歳を過ぎて再婚し、田舎の暮らしに簡単に適応しているのは、そのいい加減さのせい。

エッセイストや風流な人が「わたしのライフ スタイル」などと 素敵なエッセイを

書いているのを読むのは楽しいが、わたしにはあり得ない。

自分で「素敵」といっていた暮らしが、一ケ月後には正反対のことを言っているだろう。

さて、前置きが長くなった。

私は一生の間、朝起きが悪く、7時以前には起きたことがない。

起きれたこともない。本当に一度もない。起きれない。

ところが、最近妹の出勤が 朝は5時前に起きて、6時過ぎに出るという。

朝早く、ひとりで出て行く妹を見送ってやりたいという 優しい気持ちも少しはあるが、

またまた、ライフ スタイルを 変えてみたくなった。

わたしはどうも「守る」とうより「変える」ということが 心底あっているのだ。

そしてもうひとつ。

ころんでも、ただでは起きない性分もある。

突然妹と猫が飛びこんできた 三人暮らしは はたから見れば何かと大変かもしれない。

だけど、どんな状況でも 見事に楽しんでしまう能力が身についている。

なんだか楽しくて ハイ テンションになっているものだから

突然 朝は 5時半に起きれてしまった。

でも 昨日も今日も、病院に遅刻した。

どうしてこんなに早く起きているのに 遅刻だけは いつも通りやらかしてしまうのか。

自分のいい加減な性格が 不思議といえば不思議だ。

小心で几帳面な人なら私と、一週間と一緒には暮せないだろう。ふりまわされて。

でももし太っ腹な人なら、なんておもしろくて飽きない女性なんだと思うことだろう。

できるだけ相手を驚かせないように、わたしなりに用心はしているけどね。

6月 27th, 2008

わたしたちは実はまだ新婚です。仲の良い夫婦です。

その間に 夫の妹がはいりこんでくるなんて、と 最初は思いました。

でも どんなに仲の良い夫婦でも、毎日 相手の目を見つめあって暮らしているわけではありません。

手を携えてはいますが、見ている方向は 相手の目じゃなくて 前方です。

夫にも夢がある、やりたいことがある。わたしにも夢がある、やりたいことがある。

結婚生活は目的ではなくて 手段なんです、お互いの人生をより充実させるための。

だから、結婚生活って 愛情生活というより共同生活。誰がそこに入りこんでも

お互いが精神的に自立しているかぎり、邪魔にならないばかりか より楽しくなるはず。

親から自立できない息子や娘が アパート代を払うのがもったいなくて あるいは食事つくりが面倒で

パラサイトしているのとは 根本的に違います。

すでに 子供を育てあげた私たちの生きる方法は これから たくさん選択肢が出てくると思う。

一ケ月前には 夢にさえ想像しなかった おとな三人の実験的共同生活は 今 始まったばかりです。

どんなに仕事が忙しくても 美味しい料理の食べたい私は わたしと妹と夫で 協力しながら素敵な暮らしを

作っていくと思います。夫婦ふたりも静かでいいけど 多いのも刺激があって楽しい。

もっとも実験だから 失敗したら 解散するわ。

6月 27th, 2008

昔からずっと思っていました。健康で働きざかりの人の給料が安過ぎます。

94歳で亡くなった父は、普通の公務員でしたが、年給はなんと月29万円いただいていました。

34年間にいただいた年金は 億単位ですよ。不公平すぎません?

今、公務員だったり大きな会社に勤めていたたくさんのお年よりが、今月20万円以上の年金をいただいているのでは

ないでしょうか。

一方、大学を出たばかりの人の初任給が20万にならないところが大半です。現役の人の給料が安過ぎる。

大きな会社に勤めていた方が亡くなって、その奥さんにいく遺族年金が、身を粉にして働くおばさんたちの賃金より

高いってことは ざらにあると思います。

今の制度は 同じ会社に長く勤めた会社員とその妻が有利なように作られている制度です。

給料の高い医者の私は職場を変わったり、開業したりしているので、今年金をいただくと 月10万円なんです。

うそではありません。

何よりおかしいのは、夫が亡くなったら妻に遺族年金がいきますが、妻が亡くなった場合、夫には遺族年金が

いきません。今私が亡くなっても 月5万ほどの遺族年金さえ 夫は受けとれないのです。

男性は会社に勤めなさい、女性は奥さんでいなさい、といって作られた制度だからです。

一生働かなくても暮らしていける女性がいる一方で、私の妹も私も 働き続けなければ暮らしていけません。

わたしたちの人生設計が悪かったのでしょうか。

高い給料をいただく会社員と結婚しなかった私たちのせいでしょうか。

多分、そうでしょうね。

そうやって生きることのほうが 楽できるなんて 夢にも考えてなんかいなかったから。

だったら、助けあおうじゃないの。

一緒に働いて、一緒に料理をつくりあって、さいわい広いわが家を分けあって、助けあって暮らしていこうじゃないの。

きっと楽しいよ。

それがわたしの提案でした。

6月 27th, 2008

姉妹のいなかった私は、再婚した夫に妹がいて、近くに住んでいると知り、うれしくてかなりモーションをかけていました。

一回り以上も年の違う妹はどう思っていたかしらないけど、でもけっこう仲良くしていました。

今回、妹が東京に行くことになり、さびしい思いをしましたが、喜んで送りだしました。

それが、三週間もしないうちに、出戻ってきたんです。

同居してしばらくは疲れました。だけど次第に、「同居ってなんだか楽しいぞ」と思うようになってきたのです。

妹と私は性格が」正反対。

社会的にはしっかり者で現実的でデキパキしているけど、家では「抜けすぎている」わたし。

社会的には本当にたよりなくて、一文なしになり、家も仕事もなくしてきたような妹は 家庭的には

料理も上手で優しくて、その日一日を楽しく暮らす天才です。

同居が楽しいと思い始めながらも、当然ですが同時に仕事や家をさがし始めました。

妹は働き者なので、当然調理師の資格を生かして、仕事ができると思っていましたが、

キャリアは認められず、どこも派遣社員、時給は安く、現実の社会がいかに厳しいか、

本当に思い知らされる毎日でした。

わたしは俄然 腹がたってきました。

男性社会のまっただ中で、仕事と家事を両立して働き続けるわたしと、時給を安くたたかれる妹は、

同じ立場の同志ではないかと思い始めたのです。

わたしは言いました。

あなたを追い出すわけにいかないわ。助けあわない? あなたの苦労と私の苦労はきっと同じものよ。