8月 28th, 2008

自我について、その続きです。

 自我とは「自分の行為を見ている、もうひとりの自分」だと話しました。

でも、こんな記載も見つけました。

         ☆        ☆       ☆

自我とは、人が適応的に生きていく上に必要なもろもろの精神機能をになった中枢機関のことである。すなわち

外界を近くしてさまざまな状況を適切に判断し(現実機能)、対人関係をうまく調整して適応をはかり(適応機能)、

内部に高まる欲求や感情を巧みに統制し、心理的な危機におちいることから自分を守り(防衛機能)、自律的に

生活しようとする(自律機能)などなどの機能をになう。つまり、外界から自分を守り、うまく適応しながらも、

自律的に生きる力。

          ☆       ☆       ☆

わたしはもっとわかりやすく、こんな風に説明しています。

「押したり引いたりを上手にやりながら対人関係をやっていく力だ」と。この説明は ある心理士の方が、とてもわかり

やすいとほめてくれました。

押すだけだったら「頑固おやじ」を通せばいいだけですから、たやすいです。引くだけだったら、誰も文句をいいません

からこれも波風立たずたやすいです。でも 人間、何が一番むつかしいかっていうと、「押したり引いたりする能力」

なんだと思うのです。

中間管理職が一番むづかしいと言われるのもこのせいです。また また人間関係の中で一番むづかしいのが家族関係、

それも夫婦関係です。「むつかしくなんかないよ」って言う人がいたら、多分 それを言った相手の夫(または妻)が

相当我慢していると思って間違いありません。だって誰にでも「自分」というものがあって、たとえ夫婦といえども

違う人間ですから あっちを立てればこちらが立たず。こちらを立てればあちらが立たず、ということが起きることは

あたり前のこと、自然現象のようなもの。だからあるときは主張し、あるときは我慢しなければいけないのです。押し時、

引き時を間違えると、喧嘩になります。我慢のしっぱなしの夫(妻)は多いと思いますが、そんな場合は、「夫婦関係」

をあきらめて子供や友達にはけ口を求めているでしょう。我慢していることさえ意識していない夫(妻)もいると思う。

その場合は、まあ 無意識に避けているのですね。

喧嘩や意見の食い違いがおきても、またお互いに調整して仲良くやっていけるんだ、ということを親から学ぶことに

 よって、子供は自我を形成していくのですから、喧嘩しない夫婦の子供の自我が育っていないということがあります。

また 成績が悪くてもやんちゃ坊主だった子供のほうが、社会で大成したりします。それはヤンチャをすると、頭を

おさえられるでしょう? それで加減というものを覚えていくのです。対人関係が上手になります。なんといっても

どんな能力より、対人関係をうまくやっていける能力が一番、世間で成功しやすいですから。

おとなしいだけの子供や、いい子は、しかられることがありませんから 加減というものがわかっていません。

だからちょっと押して、しかられて、それだけで挫折してしまいます。

こわさを知らないうちにヤンチャを。はずかしさを知らないうちに、自己主張をさせておかないといけないのは

そのためなんです。

          ☆       ☆       ☆

そして、自我を形成し、鍛えるために必要なことはただひとつ、自分を見ている、もうひとりの自分、というものが

ちゃんと機能しているかどうかなんです。

患者さんには主治医。

子供にはお母さん(お父さん)

そして わたしやあなたに必要なのは、他ならぬ 自分自身なのです。

自分が自分の主治医。

なあんだと思うかもしれません。でも コロンブスの卵。これはわかってしまえばなあんだ、ですが 使えるように

なったら、まさに鬼に金棒。

           ☆        ☆        ☆

立派な方が、自我が強いとはかぎりません。ヘンなプライドが邪魔をして、自分の弱みを正視できない場合は

賢いはずの方や立派な方に案外多いようです。

朝青龍が、一時、批判に耐えられなくなって解離性障害という、もっともらしい病名がつきました。あの場合も

批判に弱いというか、突然批判された自分を受けいれ難かったので、貝のようになってしまったのでしょう。

雅子妃殿下のことは、週刊誌で書かれている以上のことを知りませんが、やはり、自我が弱っていることや

葛藤が関係していると思います。

批判や葛藤に耐える力こそ、自我の強さです。

環境のせいにすれば、何事も自分のせいじゃないのですから楽です。でも、誰も拉致されたんじゃない。

本当に拉致されて、あんな苦しい人生を強いられた人でさえ、生き抜いてこられたではありませんか。

自我の強さと、その人の地位、能力、知能はほとんど関係ありません。

わたしの患者さんでも、自分を見つめる能力を養うことに成功している人がいくらでもおられます。

でも一方で、立派なはずの方が、ちょっと批判めいたことを言われただけで去っていかれます。

自分が自分の主治医になって、自分のこころを見つめる、大切に扱ったり、弱みを受けとめてあげる。

そんな方法のいくつかをお話していきたいと思います。

8月 24th, 2008

その答えはちょっとこっちに置いといて、みなさんに少し哲学的な話をしたいと思います。

哲学や心理学や精神医学の世界で「自分とは何ぞや」という問いかけを古今東西、営々とやってきました。

それでも答えの得られないむずかしさの壁を、精神医学の世界ではたやすく越えてしまったといわれています。

それはどういうことかというと、自分というものを、ふたつに分けて考えるのです。つまり「自己」と「自我」です。

「自己」とは行為している自分。つまり今なら、このブログを読むという行為をしているあなたです。そして

「自我」とは、読んでいるあなたを、もうひとりのあなたが観察していると思ってください。「このブログ、つまんない」

と思いつつ、つい読んでしまってる私がいるわ」と自分を観察する力です。

つまりおとなの人間というのは、行為しながら、その行為している自分を冷静に見つめる力を持っているのです。

よく「うちの子、3歳になって自我が出てきたから」なんていうお母さんがいますが、それは自我なんかじゃありま

せん。単なる自己主張です。また「あの人は頑固だ、我が強い、自我が強いんだ」ということもあります。

これも自我なんかじゃあありません。頭が固くなっているから、一方的に自分を主張しているだけという場合です。

統合失調症の患者さんは、自我が弱いといいました。つまり自分の行為を冷戦に観察することができません。

「2~3日前から、私の悪口を言っている声が聞こえるようになったんです。最近、仕事に自信がなくてね、

なんかひがみっぽく感じることが多いんです。こころが疲れているのかなあ。悪口言われるようなこともして

いませんから、被害妄想でしょうかね、わたしってこころ病んでますね」などという患者さんはいません。

いきなり「盗聴されてる。悪口言う人がいる。なんとかしてください」です。

また思春期以前の子供にも、まだ自我というものは発達していませんので、自分の行為を見る力がありません。

自我の役割をはたしているのは、お母さんです。夢中で外で泥だらけになって遊んできて、帰ったらお母さんから

「まあ、楽しそうに遊んできたわねえ」といわれることで「ああ、外で思う存分遊ぶことは、楽しいことだし、それは

お母さんも喜んでくれてるから、いいことなんだ」と感じるわけです。そうやってお母さんを喜ばせる行為から

自分の自我をとりいれていくわけです。

それが思春期ともなれば自我ができてきてますから「少しは外で遊んでらっしゃい」とお母さんから言われても

「うるせーぇ。そんなことは俺の好きなことじゃねぇぜ。ほっといてくれ」になってしまう。何をしたら楽しんでいる自分が

いるかということがわかってくるから、もうお母さんの指図や評価がいらなくなってくるんです。

お母さんの仕事は指図や評価ではなくて、本人の気持ちを最大限尊重してあげることだけです。そうやってまだまだ

不安定で未熟な自我が育っていくのです。

こうやって「自我」というものをキーワードに、子供や患者さんのこころの成長や成熟度を考えていく精神医学というのは

むつかしい哲学にはない、現実的でしかも誰にでもわかりやすいという点で、とても優れた面を持っています。

8月 23rd, 2008

治療の話のつづきです。

統合失調症の患者さんには、お母さんが子供のこころに添うように、患者さんの心に添う主治医・患者関係が

基本にあること、そして、信頼j関係ができてからは、いろんな職種の人が関わることで、社会に踏みだしていくこと

を話しました。

では、自我がもう少し強い、境界例精神病の患者さんに対してはどうでしょうか。自分で自分を支えきれない

不安定さから「今から死にます」と主治医に電話をかけてくる場合を想定してみましょう。

そんな場合も「死にたいんだね」と優しいお母さんのように辛い気持ちを受けとめてあげればいいでしょうか。

必ずしもそうではありません。強くて温かいお父さんのようにどっしりと構えて、動揺しないことが大切です。

治療者のこころが揺れるかどうか、わざとためしているように見えますが、わざとではありません。だけど結果的に、

治療者が患者さんを信頼してドンとかまえる力量があるかどうかが、ためされることになります。つまり治療者は、

患者さんの病気の重さによって、母親的であったり、父親的であったりすることを求められます。

余談になりますが、わたしは患者さんの気持ちを汲み取り、気持ちに添うような治療態度を体得するまでに長い

年月を費やしました。言葉で言うのはかんたんですが、実際におこなうことはむつかしいことです。子供のように

抱きしめるわけにはいきません。また子供が母親を無条件で愛するようには、患者さんは医者を愛していません。

ありとあらゆる患者さんを相手に、言葉や態度を使ってそういう関係を作っていくことはむつかしいことでした。

 わたしは現実の暮らしの中では、4人の子供の母親でした。治療の経験と同時進行で子育てをしていましたので、

治療でおこなったことを家でわが子にためしてみたり、わが子にしめしたことを治療で使ったりしました。

ですから男性の医師にくらべて、そのあたりのコツを体得するのは上手だったかもしれません。

ところが看護師さんたちからは、しばしばブーイングを受けました。先生は優しすぎる、甘すぎるというのです。

先生が優しくすれば患者さんもいい気持ちになるので、言うことを聞いてくれる。だけど先生が帰ったあとの

長い時間を共に過ごす看護師には、なかなか言うことを聞いてくれず対応に困ることばかりです。先生も、

もっときびしい態度をとってください、というわけです。

そんなわけで、看護師さんの目の前で、患者さんをしかったり注意したりすることもさせられました。

優しいこともむつかしいけど、きちんとしかるということはさらにまたむつかしいことでした。境界例精神病の

患者さんに対して、からだをはって、堂々と持ちこたえれるような男性性を発揮しないと、すぐ見破られてしまいます。

わたしは女性ですので、優しさときびしさを使いわけるコツがなかなかつかめず、ずいぶん苦労しました。

入院しているはげしい症状の患者さんの治療体験を積み重ねる中で、わたし自身が医者として鍛えられたと思います。

さて、もっと軽い患者さんではどうでしょうか。自我も育っている軽い患者さんに場合には、もっと対等でよいのです。

人生の先輩のように支えたり、普通の専門家のようにアドバイスをすることが求められます。

このように、こころの病気を治すという治療行為は、「治す」というより、子育てのように、関係性の中でこころを育てて

いくという感覚に近いかもしれません。

こころの治療とは、主治医・患者関係を使って、こころを育てなおすこと。子供のこころが、お母さんによって、

お父さんによって、そしていずれは友人たちとの関係の中で育っていくことと同じように。

小児精神医療の専門家ではない私が、治療で経験したことを新聞に連載したら、編集者の方が「わが子の気持ちが

わからなくなる前に読む本」という本に仕上げてくださったことがそのことを証明しているように思います。

さて、患者さんには主治医がついている。子供にはお母さんがついている。

では、わたしたち、健康なこころをもって生まれ、そのこころを使って一生を送っていく者たちには、誰がつきそって

くれるでしょう。

夫婦でいれば夫や妻でしょうか。あるいは友人だという人もいるかもしれません。あなたには、いったい誰があなたの

こころの伴走者としてついていてくれますか。

ちょっと考えてみてください。

8月 22nd, 2008

治療の話をします。

精神科的治療の基本は、昔も今も薬物療法といって、精神安定剤とか抗うつ薬です。精神科で使う薬

は注意深く使うことが大事ですが、大変よく効きます。

だから世間では、精神科医じゃなくて薬屋さんですか?と皮肉を言いたくなるくらい、薬の調節だけで治

療を終える医者も多いようです。どうですか?とお聞きして、良くないと答えると、じゃあ 別の薬にしま

しょう、と どんどん薬ばかり変えていく医者です。

患者さんのほうも、自分の心に向きあうことを避け、薬の調節だけにこだわる傾向があります。

「薬でこころは変えれませんよ」と言わざるを得ない患者さんもいます。治療の基本は薬です。また 信

頼した医師からもらった薬は、医者からのラブレターのようなものだと思っていますので、大事な治療

法ですが、薬で心が変えれるかというと、そんなことは出来ないと断言できます。

薬を使いながら、ではその医師がどんな治療法を併用するかで、その医師の腕が決まります。

ただし治療法の併用といっても、まだこれといった決定的な治療法はありません。というより、やはり

一定の治療法で心を変えていくことは無理なのであって、決まったものがなくてあたり前なのです。

患者さんの言うことを丁寧に聞きながら、どの医者もいろんな治療法を自分なりに組みあわせ、苦心し

ながら治療しているといったところです。

そこで、わたし自身の治療経験の苦心の歴史を少し語らせてください。

私が新米医師だったころは、もちろんクリニックなどなく、重い統合失調症の方の入院治療が主体でし

た。今から思えばこれが何物にも代えがたい貴重な経験になりました。先輩医師たちも匙を投げたよう

な重症の方を、大いなる社会的偏見と戦いながら、どっぷり4つに組んで治療のできた、最後の世代で

はないかと思うからです。この経験が医師としての原点となっています。

身体科の新米医師や新米看護師には同じことが言えると思います。死と隣りあわせのような重い患者

さんを診てはじめて、軽い病気の方を自信をもって診れるのではないかと思います。とことん重い患者

さんの治療に真剣に取り組む経験がないと軽い患者さんはかえって診れません。

さて、統合失調症のように、自我(自我とは、それを使って、いろんな対人関係や社会との関係を築い

ていく心の力のこと)がとても弱い人の幻覚や妄想、興奮などや、病気ではないと言いはって薬を拒否

する態度などにつきあっていくのは大変ホネのおれる仕事でした。先輩を見習うことはできても、誰も

答えは出してくれません。論文や本で体得していきました。

その中で心に残っているのは、中井久夫先生の書かれた「気持ちを汲む」「気持ちに添う」という治療

態度でした。言葉で言うのはやさしいけれど、それを体得するまで、長い年月がかかりました。

たとえば薬を飲みたくないといって怒っている患者さんを説得することは至難のわざです。「自分は病

気ではない、と思うことが病気の本質である」患者さんに向かって、「飲みなさい」というのは神経を さ

かなでするようなものです。だけどそんなとき「そうか、飲みたくないんだね、だって病気だと思っていな

いんだから あたり前だよね」とか「自分は天皇陛下の子供だ」という妄想のある患者さんに「それは違

う、そんなこと言うことが病気だ」と決めつける前に「へぇーっ。あなたは天皇陛下から生まれたってホン

ト? どうしてそれがわかったの? いつからそう思ったの?」と信じてあげることを先にする、そんなこ

とから患者さんに気持ちを汲んだり、気持ちに添ったりできるようになっていきました。

まやかしだという人がいるかもしれません。でもこれって、9歳以前の子供を育てているお母さんの母

心そのものなんです。

お菓子を食べたばかりのわが子が、もっともっととわがままを言うときがあります。そんなとき、お菓子

を食べたばかりでしょ、だめですよ、と説教すると 子供はすねてしまいます。

でも「あら、もう食べたくなっちゃったの? 美味しかったもんね。でもほら、お母さんは今、洗い物の最

中でしょ。これが終わったらあげるからそれまで外で遊んでらっしゃい」と言えば、気持ちをくんでもらっ

た子供は、なんとなくその気になって「はーい」と答えて外へ飛びだしていき、お菓子のことなどすっかり

忘れて、遊びに夢中になってしまうかもしれません。子供はお菓子をほしかったのでしょうが、それ以上

にお母さんに気もちを受けとってもらいたかったに違いありません。本来は自分の中に自己と自我があ

るんですが、 自我ができあがる前の子供というものは、自我の役割をはたすのはお母さんなので、

お母さんが認めてくれること、お母さんが喜んでくれること、そのために生きているようなものなのです。

そうやってお母さんを喜ばせるために生きていく行為が、すなわち子供の自我を作っていくようになって

います。

もっとも、子供じゃなくても、おとなになっても、自分をもてあます時期というものはあって、わたしにも

経験があります。開業して何年かたったころ、仕事が辛くて仕事をやめたいくらい落ちこんだことがあり

ました。同業者ならわかってくれるかと、内科を開業している同級生だった男の先生に電話しました。

「やめたくなっちゃった」そう言ったら彼は「あなたねえ、仕事って本来きつくて辛いものなんだよ」と

お説教を始めたではありませんか。わたしは「あなたに説教してもらうために電話したんじゃないの。

よくそれで医者やってられるわねえ」とばかり電話をガチャンと切ってしまったんです。

ぐちを聞いて、辛さをわかってもらったら、また元気が出るってことは誰でもありますね。

これってわがままでしょうか。わたしは決してそうは思いません。患者さんなら、まず自分の痛さやら辛

さやらをわかってもらいたいものですが、普通の患者さんでなく、自分で自分を受けとめる自我という

ものがない統合失調症の患者さんは、誰かが気持ちを受けとめてあげないと、前へ進めません。

また、自我ができあがる前の子供というものも、条件なしで丸ごとお母さんに認められたいものなん

です。条件たとえば勉強ができるからいい子、明るいからかわいい子、そうではなくて、もう存在して

いるだけでいいの、ありのままそのままで自慢の子供なのよ、そう言われ続ける9年という歳月が

人間のこころにとっては不可欠なんです。そしておとなも、時にはね。

8月 20th, 2008

精神科というのは、ある意味「社会の窓」です。ですから当然かもしれませんが、社会のほうにも変化

があらわれ始めていました。

今から20年前、最近死刑に処せられたという宮崎 勤の幼女殺害事件がおきました。精神的異常を

疑われ、精神鑑定がおこなわれました。3人の鑑定医がそれぞれ別々の鑑定結果を出すという異例の

事件でした。わたしは関心を持ちましたし、驚いたことはたしかですが、特殊なケースだろうと思い、

いずれ忘れていったように思います。

ところがそれから8年後、忘れられない事件が起きました。神戸の14歳少年による殺人事件です。

手のこんだ残虐な事件の犯人がまさか14歳の少年だとは、誰も予想しなかったのではないでしょうか。

わたしが「大変な時代になった」と感じた理由は、その少年に精神的疾患がなかった、つまりごく普通に

生まれて生きていくはずだった少年が、育ったプロセスの中で、事件を起こすまでになったということで

す。誤解があると困りますから説明しますが、精神的疾患があれば事件をおこしても不思議じゃない、

驚きはしなかっただろうという意味ではありません。精神的疾患と犯罪に相関関係はないばかりか、

こころを病まない人の犯罪のほうが、世の中にははるかに多いのです。わたしの場合は、精神科医の

さがとして、わずか14年間の少年のこころにどんな心の変化があったのだろう、それに関心を持った

のです。

そのとき強く思ったのは、わたしたち戦後のおとなの子育てが、どこか間違ってきているのではないか

。わたしたちが何か大切なものを見失い、子育てにそれが影響しているのではないか。そんな危惧を

抱くようになったのは、精神科医としての自然の流れでした。

「このごろの若い子は。。。」と言いがちですが、子供たちは変わっていません。生まれたときは真っ白

です。どの赤ちゃんも、気質こそみんなそれぞれに違いますが、心は真っ白でまっさらであることに

今も昔もなんら変わりはありません。

でも大人が自分を見失ったり、忙しさにかまけて大切なことを捨ててしまったりしているために

子供への対応にすこしづつ変化が起きているのです。

さて、その後もこれでもかこれでもかというほど、少年少女による、考えられないような殺人事件が

起き続けています。

最近一番驚いたのは、父親と一緒にカレーライスを作って、楽しそうに食べたその夜に、就寝中の

父親を刺し殺した少女の事件でした。その前日に試験をボイコットして無断で休んだという以外、

母親にも周囲にも、何ひとつこころの変化を気づかせていないこと。また少女自身が「自分でも何を

したかわからない」と供述していることです。

こころの中は見えないものであるとはいえ、ここまで見えないのがこころだとしたら、やはりこころの

問題を誰もが真剣に考える時期にきているのではないかと思うのです。

 ずっと、人のこころを仕事の対象にしてきた私が、この20年来の変化を「こわい」と感じます。

37年前に、内因性の精神疾患だけを治療の対象にしてきた私が、今ではほとんどの患者さんが

ごく普通の人です。見かけは普通だけど、実は。。。。とかいうレベルの「普通」ではなく、本当に

「普通」。ほんのちょっと前まで、親の自慢の子であったり、数十年の人生を何のとどこおりもなく生きぬ

いてきた人であったり、という意味の「普通」です。

それが精神科医のわたしだったとしても、決して笑えない話としてあり得るというのが今の時代だと

思います。

大袈裟に言うつもりも、おどかすつもりもありませんが、診療を通してまた、いろんな事件を通して

そんなことを考えるのです。

こころの病気とはいったい何でしょうか、という話がこんな風になりました。

まとめると、こころの病気とは、これほど実態が不透明なものもないということ。また「私には、わが家

には関係ない」と言い切れるものでは今やないということ。そして時代によって変わるものである

らしいこと。

現代では「心の健康な子を育てる」とか「一生を精神的に健康に送る」ということがどの人いとっても

人生の大きな課題として立ちはだかっていて、その傾向はますます強くなるかもしれないということを

まずわかっていただきたいと思います。

8月 19th, 2008

こころの病気とはいったい何でしょうか。精神科の教科書は変わっていないのに、精神科にやってくる人たちの

病気の様子が、この何十年ですっかり見違えるように変わってきたことについて、まずお話ししたいと思います。

わたしが精神科医になったのは、昭和46年、今から37年も前のことです。その頃、精神科の病気といえば

精神分裂病のことと言ってもいいくらいでした。この疾患、今では統合失調症と呼ばれるようになったことは

みなさんもご存知だと思います。

わたしは、この統合失調症という病気の治療に、20年、専念していました。この病気は100人ちょっとでひとりが

かかる病気です。100人というと、学校の2クラスから3クラスにひとり。とても珍しいというわけでもなく、かと

いって決して多いわけでもない、特殊な病気でしょうか。その頃、治りにくい、社会で生活するのがむずかしい、

どちらかといえば社会から隔離しておいたほうがいいというわけで、精神病院というのは、総合病院からも離れ、

どこか辺鄙な場所にひっそりと建っていることが多かったように思います。精神科医という仕事も、そういう辺鄙

なところで、ひっそりと仕事している人たちでした。

ところが今では、一生の間に精神科にかかる人は、なんと4人にひとりだと言われています。100人にひとり

だったのが、100人に25人、なんと24人も増えてしまったんです。その間に、何が起きたのでしょうか。

どんな風に変化したのでしょうか。わたしが診療の第一線で肌で感じてきたこの変化を、この間に社会で起きた

事件とからませながら、お話ししたいと思います。

統合失調症の方というのは、「手のかからない聞きわけの良い子供で安心していた」と言われることが多いの

です。そんな方が、親元を離れ社会に出たとたん、その荒波に対応できず、突然混乱して被害妄想や幻聴を

きたす病気です。病気の成り立ちはシンプルですが、「病識」といって、自分のこころが病んでいるということを

認識する力がないことが一番の特徴です。そのため、いったん治療という段には、手ごわい病気のひとつ

なんです。

10年くらいは、その病気の方の入院と外来での治療に専念していました。30数年前のこの時代は、学園紛争を

経験した世代が若くて働きざかりでしたので、どの業界も元気いっぱいだった気がしますが、精神科もそうでした。

またわたしは、どちらかというと型やぶりな医者でしたので、精神病院を開放しようという運動をおこして、鍵を

つぎつぎにとりはらったり、引きこもっている方には、積極的に往診もしました。入院中の患者さんを診るだけでなく、

精神科医の大事な仕事のひとつが往診であったり、外泊中の家庭訪問であったり、患者さんが就職した先を職場

訪問だったりしました。患者さんだけでなく、家族の相談にも積極的に応じていました。診察室という狭い空間を出て

家族や社会の中の患者さんを総合的に看るというのが、わたしが勤めていた病院の方針でした。

ところが、20数年前から、それまで診たことのなかった症状の患者さんが出現してくるようになりました。 

幻覚や妄想はない。口も達者だったり、社会でもそれなりにやれているのだけど、一方で家族に暴力をふるったり、

リストカットを繰り返したり、自殺予告の電話をかけてきて治療者を戸惑わせたりして、神経症の患者さんにはあり得ない

はげしい症状をあらわす患者さんたちです。これは境界例精神病という人格障害の一群だということが次第にわかって

きました。別名・ボーダーラインというので、みなさんの中にも聞き覚えがあるかもしれません。境界例の境界という意味は

統合失調症ほど自我の弱い精神病でもなく、かといって神経症よりは重い。そのふたつの境界に存在するという意味です。

はげしい症状をくりかえす、そういう患者さんたちの治療の右往左往してまた10年ほどたったころ、つまり平成になった

ころから、神経症圏の患者さんが増えてくるようになりました。不安神経症であるとか、強迫神経症であるとか、うつ状態で

あるとか、あまり精神病的な要素がなく、学校や会社に行ってはいるのだけど、何かしら悩ましい、困った症状があって

精神科に来る方たち。ごく普通の会社員であったり、学生であったり、主婦であったりする方たちが目立つようになり

次第に増えてきて、大半をそういう人たちが占めるようになりました。

その時期を同じくして、わたしも「社会復帰しよう」という気持ちになってきました。

社会で働いているわたしが「社会復帰」というのもヘンかもしれませんが、自分としては、重症の統合失調症や境界例

精神病の患者さんを相手に奮闘して磨いた医者としての腕が、一般社会の、軽いこころの病の方の病気をよくするのに、

どれだけ役たつかためしてみたいと思うようになっていたのです。それをわたしは「わたし自身の社会復帰」と呼んでいて、

この年齢になってから総合病院で働くようになったのも、本を書いたり講演をするにも同じ社会復帰路線の線上の

つもりです。

そういうわけで地方都市の繁華街の一角で神経科クリニックを開業したのは、今から17年ほど前のことでした。

8月 4th, 2008

職場の昼休みに、内科の先生に聞いてみました。

昨日、大変だったんです、頭は痛い、おなかはすかない、しんどいし便もドブ掃除したみたいひどいのが出て

一日中寝こんだんです。前の晩にロースト ビーフを作って、美味しい美味しいってわたしばかりがたくさん食べたんです。

ふだんは、あまりお肉を食べないんですが、でも それくらいでこんなに病気になるでしょうか。

私って、すぐダウンしてしまうの。 こんな弱い自分が なさけなく思えるんです。

先生いわく。

 お肉の食べすぎでも、そうなりますよ。

あなたの胃が 受けつけないっていう拒否反応をおこしてくれたんですよ。

健康な反応ですよ。

       ☆      ☆      ☆

えーっ? 昨日のビョーキが 健康な証拠? ちょっとビックリ!

でも、そう言われると、自分のカラダがいとおしく感じられました。

こころの病気も同じなんです。

落ち込みとか、ゆううつとか、不安とかいらいらするとか、怒りとかなどのマイナスの気持ちは閉じ込めて

プラス思考が大事っていいますが、そういうマイナスの気持ちをじっくり味わうことが実はとても大切なんです。

プロの私たちは プラス思考などという言葉を使いません。

どんなにマイナスに見える気持ちも とても大切に扱います。自分のも、相手のも。

なぜそんなことが大事なことなのかについて、わかりやすく話できたらと思います。

5月 31st, 2008

先日の東京行きを、無理をしたわけではないと思うのに、ホテルの乾燥がこたえたのか

 はたまた疲労か。またはリズムが狂ったせいか。

原因はわからないが、10年ぶりの風邪。

風邪といっても熱が出るわけでもなく、寝込むわけでもない、喉が痛くてやや体調不良という程度。

誰も。多分家族も気づかない程度の不調。 

でも、ほら。こちとらは「医療器械」の身だから、少しでも不調なれば 「医療器械」の精度が落ちる。

人はわたしのことを神経質すぎるっていう。

だけど人の話を聞くって健康そのものでないとできない。ちょっとでも不調なときにグズグズ言う人の話は聞けない。

つくづく考えた。

これからも頭はますます冴える。しかしからだは、だんだん衰える。

そのバランスをいかにとるかとの戦いではないだろうか。

キャリアがものいう私の仕事は、だんだん能力が増すのを感じる、しかし体がついていかない。

最後はどうなっていくんだろう。

どうやって舵をとっていくかは 大仕事だと感じる 昨今である。

ああ、仕事的には40歳前後が一番元気で輝いていたなあと思うが ふりかえってもどうしようもない。

体で勝負できない今は 知能で勝負しなければ。

5月 23rd, 2008

「なぜこころは病むか」などの著書がたくさんあり、ごく最近では「ヒトとサルの間」という本を出された

精神科医の大先輩、吉田脩二先生とは、大阪で知りあった。

その後、お互いに大阪を経て、偶然同じ土地に住むという奇遇。今日は診察中に突然会いに来てくだ

さった。10年前に大阪で知りあって以来、今日で3回目。

会って握手をした後、わたしを見て「君は年齢不相応の元気さだね」とおっしゃった。

「年齢不詳の若さだね」ならうれしいが、年齢不相応の元気さだね、と言われ複雑だった。

たしかに私が仕事に向かうときのエネルギーは 年をとっても衰えることがない。

たしかに仕事中はとても元気だ。

ところがその元気さは、 仕事をしてない時間の養生に支えられていることを誰も知らない。

 仕事をしていない時間をとても大切にしていて、エネルギーが減らないように気を配っている。

どうしたらエネルギーが減らず、たまっていくかも知っている。

たとえば、ふだん人とはほとんど会わないし、むやみに出かけない。

人を診察する今の仕事を大事にしたいと思ったら、それはやむを得ないことだ。

あちこち遊びまわったり旅行をしている人は元気に見えるが、そんな人も、いつもいつも元気なわけで

はない。

要は、エネルギーをどこに集中するか、どうやって集中するか、何に価値をおくかの問題だ。

元気な人と会うと「元気をもらった」というが、元気な人と会うから元気をもらえるわけではない。

むしろ エネルギーを吸いとられることのほうが多いと思う。

そのとき元気になったように思うのは、自分の中でよどんでいたエネルギーの動きがよくなるからだ。

エネルギーをためること、流れをよくすること、それを価値あることに使うこと。

それをお勧めしたい。

5月 11th, 2008

都はるみと事実婚をしていた音楽プロヂューサーの男性が、自死されたと新聞にでていたのは一ケ月

ほど前のことだ。都はるみとその夫は、私と同じ時代を駆け抜けてきた全共闘世代だ。都はるみが「普

 通のおばさんになりたい」と宣言して引退したのは、もう24年も前のことだ。子供を産み、家庭を守る女

性のことを「普通のおばさん」と呼んだことから、普通のおばさんたちから ひんしゅくを買った。しかし仕

事を持つ女性の気持ちとして、十分に理解できた。

さて昨日のこと、婦人公論に ふたりと親交のあった人が寄稿しているのを目にしたので読んだ。彼が亡くなった4月

初旬のその夜、はるみさんは広島で公演だった。彼はといえば、薄曇りの東京で、親しい音楽関係者と

酒を飲んでいた。酒場を出たとき、気温は13度。心地良い微風を吹いていた夜の街を彼はまっすぐ自

宅マンションに帰った。彼は最近沈みがちだったというが、その夜は妙に明るかったという。一種の高揚

状態にあったのだろうか。

自宅マンションに帰ってからも、行動は冷静。一週間くらい前から本を整理していたらしいが、その夜は

はるみさんとの想い出のつまったアルバムを眺めていたらしい。

亡くなったあと、都はるみがメッセージを出したという、「思い当たることがなく、事故死なのではないかと

思わざるを得ないほどです」という内容だった。

30年もの長い間、夫婦同様、いや夫婦より濃い愛情関係にあったろいう「妻」が思い当たることがないと

いう。もちろん悩みがあったこと、悩みは相当深いことくらいは想像できただろう。しかしそれが死ぬほど

のものとは思わなかったという意味だとわたしは解釈した。

この話を聞いてわたしが思ったこと。それは彼は「うつ病にかかっていたのではないか」ということだ。う

つ病は、これほど身近な人にとってもわかりにくい。身近であればあるほどわかりにくい場合があるし、

身近でないとそれはそれなりに又わかりにくいところがある。

精神科医が診断したらわかると思うが、精神科医だって、診察室にやってきたから診断するのである。

自分が「うつ病」になったり家族がなっていても 案外「灯台もと暗し」なのが こころの病気。

やはり地道ではあっても「啓蒙あるのみ」だという気がする。 特に人と関わる職業の人くらいは「うつ病

かも?」とわかっていたらどんなにたくさんの人が救われるだろう。

亡くなった中村氏は音楽的才能に恵まれ、理論派であるのにエネルギッシュで激情的な人だったらし

い。「全共闘に関わりながら、結局おれは逃げたことになる。いまだ負い目を感じている」と語っていたこ

とからわかるように、純粋で自分に厳しい人だ。そんな人は生き辛さを抱いていることが多い。

最近酒量が増えていたこと。杯を重ねるほどにはるみさんに対していい募る傾向があったこと。またここ

数年特に酒量が増え、毎晩飲んでは自棄的になっていたこと。

酒から「うつ」がきたか、酒が「うつ」を悪化させたかは定かではない。しかし、酒はしばしば心の病気を

悪化させる。

前にも書いたが、うつ病の人は自分をうつ病だと思っていず、自分を責め、自分の殻に閉じこもる傾向

がある。本人が訴えないので まわりにもわかりにく。そのことをわかっていてほしい。

じゃあ どうすればいいかについてはまたす少しづつ書いていきたい。