2月 29th, 2008

子供のころからずっと、いつも人より半歩先を歩いて来た。

一歩じゃなく半歩というのがビミョーで、有名にも立派にも金持ちにもならなかった。

また、出る杭は打たれるという諺があるが、頭2つも3つも出る能力があればよかった。

頭ひとつ分しか出ていないのがまた微妙で、いつも打たれっぱなしだった。

だからこの年になってまだ 新米面ひっさげて病院内をうろつく運命に甘んじている。

ちょっと悔しいと思う日も、ひそかに涙する日もある。

       ☆     ☆     ☆

わたしが精神科医になったころは、精神科医なんて一番嫌われる職業のひとつだった。

患者さんから水をかけられたり、葡萄の皮を投げつけられたこともある。

もちろん病気のなせる技だから、腹は立たない。

患者さんの親から「あなた(精神科医)にだけはかかりたくなかった」と
にらみつけられたことも一度や二度ではない。

でも、インフォームド コンセントや セカンド オピニオンなどという言葉ができるはるか以前から
そういうことを大切にしてきた。わたしにとってはあたり前のことだった。誰に習ったわけではない。
普通の感覚持った 普通の人だったからに過ぎない。

わたしがHPを作った10年前は、精神科医のHPはほんのわずか。いや、ほとんどなかった。

それがどうだろう。

最近再開したこのブログにも、「精神科医」という検索でやって来る方が多くて驚いている。

そこで調べてみたら 精神科医のブログが山ほど(というのは大げさだが)ある。

そして、私など足元にも。。。。。という立派なブログも。

だけど、精神科医がもてはやされる時代なんて、ぜんぜんいい時代なんかじゃない。

わたしはそう思う。

ただ今、精神科医歴37年。

時代と共に生きてきたという実感だけはたしかにある。

そして時代の変化に敏感で、人間のいろんなことがこわいほど見えることもある。

        ☆      ☆      ☆

今、わたしにとっての「半歩先」は何だろうと思う日々である。

「精神科医です」と胸をはって言うなんてはずかしいことと思っていたが、今もそれは変わらない。

今、目の前にいるひとりの患者さんを大事にする、ただ普通の医者でありたいと思っている。

このブログは、そんなわたしのデトックスである。

2月 28th, 2008

ずーーーーーっと仕事仕事で走り続けていて私に、とうとう転機が訪れました。

4月から仕事量を減らせられる状況がとうとう到来したのです。

もちろん「常勤で働いてほしい」という要請があり常勤に魅力を感じます。

でも昨夜から考えに考え、出した結論。

これからは 時間的余裕を持って働こう、ということ。

        ☆    ☆    ☆

「いつまで働いているの。人生、楽しまなくちゃあ損よ」というアドバイス

      でも、仕事する人=楽しんでいない、 というわけではないね。

「年なんだから 健康第一、無理しないで気楽に」というアドバイス

      病気するのは、働いている人も働いていない人も確立は同じですよね。

                健康は大事ですけど、働くとなったら 気楽には働きません。

定年になった人には時間がたっぷりあるから なんでもできる。

しあわせなことに違いない。

でもわたしの場合は 定年になったら・・・・と夢見るより、もうちょっと先を見たい。

「80才になったとき、何に熱中し、何に誇りを感じ、何を楽しんでいるか」

もう一度、自分の将来の姿を心に刻みながら 今日明日の生き方を見直そうと思っている。

2月 27th, 2008

昨夜降った雪は、春の雪。

優しく木々を包みこんでいる。

雪の朝は地上のちりあくたが全部清められるせいか、神々しい美しさです。

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2月 24th, 2008

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2月 24th, 2008

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2月 22nd, 2008

先日書いた「脳の可能性」は、とても反響がありました。
「励まされた」「わたしも何かつづけたい」という感想が一番多く、
二番目が反対に「わたしはそんなにがんばらない、気楽に生きていこうじゃないの」という感想でした。

ところが、今日、継続のコツを教えられる出来事がありました。

今日診察した50歳の女性のお母さんは、80歳のちょっと手前。
娘さんの診察にともなって来られました。
そのお母さんがふと「わたしはピアノを続けているので。。。。。」とおっしゃる言葉を
わたしは聞きのがしまんでした。
診察が終わってトイレに行くと、ばったりそのお母さんと出くわしたので、思わず
お母さんに「さっき、ピアノっていいました?」と聞きました。

「そう、ピアノです。40歳代で始めて、30年習っています」
「習いに行くのは月に一回。でも30年、休みなしです」
「楽しくて楽しくて。娘もわたしのように、うちこめるものがあれがいいのですが」
「乙女の祈りも下手ですが、弾けますよ」

わたしは感嘆しました。
なぜかというと、7年前にピアノを始めたわたしですが、しょっちゅうやめてしまいます。
やめて再開し、再開したけどやめ、やめたけど再開し、でもまたやめてしまい・・・・・・・
今では再開する自信もない。
といいながらまた再開し・・・・・・・・・・それほどの未練がありながら続けられません。
素人で30年も続けるなんて 並大抵のことではありません。

その女性とわたしの違いは何でしょうか。
今日はそのことについて考察します。

        ☆       ☆        ☆

7年前に結婚したときに、夫の趣味は 水泳とピアノでした。
夫はピアノを20年、水泳を15年続けています。
わたしは水泳はダイキライでしたが、ピアノは以前から関心があったので影響されて
ピアノを習うことにしたのです。

さて、好きだったピアノは、ものすごい情熱で習いました、当然上達もしました。
しかし、習慣になって、快感ホルモンが出る前にやめてしまいました。

もうひとつの水泳は、夫が週3回プールへ行くので、しぶしぶプールに
ついて行くことになりました。泳げないのでプールを歩くのです。
夜、ひとりで家に残されたくなかったし、プールのあとの温泉も魅力だったから。
3年くらいは いやいやしぶしぶだったので、理由をつけては休んでいました。

ところがそのうち、一ケ月も休むと 夫から催促されます。
家に残っていても、ダラダラ過ごすだけだってわかってきます。
なんとなく体調も悪くなります。なんか「やっぱり行こうかなあ」となってしまう。
プールに行っているほうが都合がいいんですね。で、再開してつづけます。

そうこうしているうち、7年たった今では プールやジムがすっかり快感になってしまい、
生活の一部になってしまったんです。やめるなんて考えられません。
せっせと週3回、夫と一緒に通い続けている始末。

大好きだったはずのピアノが続けられず、きらいだったプール通いが7年も続いている。
それはなぜでしょうか。

         ☆      ☆      ☆

答えはカンタン。

それは「プールはただただ続けたから」です。

そんな答えはおかしいよ、って思いますか? 続けるコツを聞きたいのに、って。

けれど、患者さんの80才の女性にしても、夫にしても口をそろえて言うんです。

「やると決めたらただただやるだけ。たったそれだけ」って。

くらべてわたしときたら「今日は行こうかやめようか」
「本当に上手になるだろうか、ならないだろうか」
「こんなこと意味があるかしら、ないかしら」
「上手になるのはどうしたらいいだろうか」
「今日は忙しいから、明日こそ、あさってこそ」

余計なことを考えすぎるんですね。続ける人って何にも余計なこと、考えていないんです。

やると決めたら迷わずやる。
やることが都合が良くなるまで、快感になるまで、とにかくやる。

どんなに好きなことでも、最初の間はただだだ続けなければだめです。 

そうやっているうちに、快感になってきたり、依存になってしまう。
そこまでいったらシメタもの。

続けるって 一種の「依存症」ではないでしょうか。
何かを続けるって、タバコや酒やコーヒーをやめられないのと同じ。
一種の依存に陥るってこと。

そう、何かを続けるコツは、それが習慣となるまでは、何も考えず、ただただ
続けることに専念する。

どんなに好きなことでも、

「続ける」と決心し

「続けられる条件を整え」

「ただただ続ける」

そうしなけれが続けられません。

キー ワードは 「依存」です。

         ☆     ☆     ☆

何かを続けることって大変といえば大変。マ そこまでしなくてもね。お気楽にいけばいいのでは。
そう考える人がいても不思議ではない。

何かを続けるということは 時間もとる、エネルギーもいる。時にはお金も。

何かを続けるってことは、別の何かをあきらめるっていうこと。
それもさびしいじゃあないですか、ねぇ・・・・・

だから飽きっぽいと言われようとなんのその、いろんなことに手を出し、好奇心を満たし、
でもすぐ飽きてしまってまた別のことに手を出し、それにも飽きて何かを探し・・・・
という暮らしもわたし的には好きです。

囲碁にめぐりあったとき、子供が言いました。

「お母さんって 何と飽きっぽいと思っていたけど、好きになれることをずっとさがしていたんだね」

涙が出ましたよ、周囲から「飽きっぽい人」という烙印を押されていた私に、

さすが子供ですね、 お母さんを見つけめるまなざしはどこまでも温かい。

というわけで、何かを続けても 続けなくても 人生はしあわせになれると思いますが、
次回は「続けることの意味」=「依存」について 書きます。

2月 21st, 2008

週に一日行っているS病院は、

地域のおじいさん、おばあさんがたくさんやって来る。

田舎のお年よりは働き者。

なんだかんだと手作りしては、わたしにもおすそわけ。

今日は、氷餅というのをいただいた。

ゆずの入ったお餅を凍らせている。なんとも言えず味と風味のあるお菓子。

後ろは、畑でとれたお豆で手作りしたという 甘納豆。

それに 干し柿。

「ちょっと遊んでみたのよ」とはずかしそうに笑うしわくちゃの顔が

なんともいえず可愛い田舎の高齢のおばあさんたち。

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2月 17th, 2008

人間の体は、無数の細胞で成り立っている。

「心の細胞」というのはない。

こころの細胞は「脳」にあると思うかもしれないが、脳というのは体の細胞だ。

だから 「脳」という体の細胞が すなわち こころを作っているということ。

だから こころと体は切りはなすことが出来ない。

こころが疲れているとき、体に働きかけるといいのは そのせいだろうか。

       ☆      ☆      ☆

さて、うつ病などのように、こころが病的に疲れているときには、体も休ませたほうがいい。

心が病的に疲れていると、それは 体の細胞も疲れはてているということだから。

 でも 病的な疲れでない場合には、細胞が疲れはてているというより

バランスが悪くなっているだけだから、

体を動かしたほうがよい。

       ☆    ☆    ☆

そんなことを考えたには理由がある。

仕事のストレスでこころが疲れているな、と感じたからだ。

 多分、バランスが悪くなっているのだろうから体を動かしたほうがいいのだろうな。

そんなことを考えながら、家の掃除などをやってみた。

仕事の中で、こころと頭はしっかり使わせてもらっているという人は、

できるだけ、普段の暮らしの中では 体を使ったほうがいいと思う。

2月 17th, 2008

窓から外を見ると 

青い空が広がっている。

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2月 14th, 2008

 雪が降ると、難儀だなあとは思うけど、

次の日、からっと晴れて 雪道を車を走らせるとき

雪も景色もきらきら輝いて

こころから「美しい!」と思います。

雪が降ると、変わりばえのない人間の暮らしにドラマが生まれ、

家族や地域の人々が一体となって、声をかけあったり助けあったりするので

雪の雰囲気は好きです。

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