8月 23rd, 2008

治療の話のつづきです。

統合失調症の患者さんには、お母さんが子供のこころに添うように、患者さんの心に添う主治医・患者関係が

基本にあること、そして、信頼j関係ができてからは、いろんな職種の人が関わることで、社会に踏みだしていくこと

を話しました。

では、自我がもう少し強い、境界例精神病の患者さんに対してはどうでしょうか。自分で自分を支えきれない

不安定さから「今から死にます」と主治医に電話をかけてくる場合を想定してみましょう。

そんな場合も「死にたいんだね」と優しいお母さんのように辛い気持ちを受けとめてあげればいいでしょうか。

必ずしもそうではありません。強くて温かいお父さんのようにどっしりと構えて、動揺しないことが大切です。

治療者のこころが揺れるかどうか、わざとためしているように見えますが、わざとではありません。だけど結果的に、

治療者が患者さんを信頼してドンとかまえる力量があるかどうかが、ためされることになります。つまり治療者は、

患者さんの病気の重さによって、母親的であったり、父親的であったりすることを求められます。

余談になりますが、わたしは患者さんの気持ちを汲み取り、気持ちに添うような治療態度を体得するまでに長い

年月を費やしました。言葉で言うのはかんたんですが、実際におこなうことはむつかしいことです。子供のように

抱きしめるわけにはいきません。また子供が母親を無条件で愛するようには、患者さんは医者を愛していません。

ありとあらゆる患者さんを相手に、言葉や態度を使ってそういう関係を作っていくことはむつかしいことでした。

 わたしは現実の暮らしの中では、4人の子供の母親でした。治療の経験と同時進行で子育てをしていましたので、

治療でおこなったことを家でわが子にためしてみたり、わが子にしめしたことを治療で使ったりしました。

ですから男性の医師にくらべて、そのあたりのコツを体得するのは上手だったかもしれません。

ところが看護師さんたちからは、しばしばブーイングを受けました。先生は優しすぎる、甘すぎるというのです。

先生が優しくすれば患者さんもいい気持ちになるので、言うことを聞いてくれる。だけど先生が帰ったあとの

長い時間を共に過ごす看護師には、なかなか言うことを聞いてくれず対応に困ることばかりです。先生も、

もっときびしい態度をとってください、というわけです。

そんなわけで、看護師さんの目の前で、患者さんをしかったり注意したりすることもさせられました。

優しいこともむつかしいけど、きちんとしかるということはさらにまたむつかしいことでした。境界例精神病の

患者さんに対して、からだをはって、堂々と持ちこたえれるような男性性を発揮しないと、すぐ見破られてしまいます。

わたしは女性ですので、優しさときびしさを使いわけるコツがなかなかつかめず、ずいぶん苦労しました。

入院しているはげしい症状の患者さんの治療体験を積み重ねる中で、わたし自身が医者として鍛えられたと思います。

さて、もっと軽い患者さんではどうでしょうか。自我も育っている軽い患者さんに場合には、もっと対等でよいのです。

人生の先輩のように支えたり、普通の専門家のようにアドバイスをすることが求められます。

このように、こころの病気を治すという治療行為は、「治す」というより、子育てのように、関係性の中でこころを育てて

いくという感覚に近いかもしれません。

こころの治療とは、主治医・患者関係を使って、こころを育てなおすこと。子供のこころが、お母さんによって、

お父さんによって、そしていずれは友人たちとの関係の中で育っていくことと同じように。

小児精神医療の専門家ではない私が、治療で経験したことを新聞に連載したら、編集者の方が「わが子の気持ちが

わからなくなる前に読む本」という本に仕上げてくださったことがそのことを証明しているように思います。

さて、患者さんには主治医がついている。子供にはお母さんがついている。

では、わたしたち、健康なこころをもって生まれ、そのこころを使って一生を送っていく者たちには、誰がつきそって

くれるでしょう。

夫婦でいれば夫や妻でしょうか。あるいは友人だという人もいるかもしれません。あなたには、いったい誰があなたの

こころの伴走者としてついていてくれますか。

ちょっと考えてみてください。

8月 23rd, 2008

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新築祝いにいただいた思い出のカサブランカが

今年も華やかに咲きました。

10年前の新築祝いにいただいた鉄線も、毎年紫の華やかな乱舞で

咲くたびに、いただいた方を思い出します。

花のプレゼントは、せつない思い出につながることもたまにはありますが、

うれしい思い出もまた増やしてくれます。