8月 19th, 2008

こころの病気とはいったい何でしょうか。精神科の教科書は変わっていないのに、精神科にやってくる人たちの

病気の様子が、この何十年ですっかり見違えるように変わってきたことについて、まずお話ししたいと思います。

わたしが精神科医になったのは、昭和46年、今から37年も前のことです。その頃、精神科の病気といえば

精神分裂病のことと言ってもいいくらいでした。この疾患、今では統合失調症と呼ばれるようになったことは

みなさんもご存知だと思います。

わたしは、この統合失調症という病気の治療に、20年、専念していました。この病気は100人ちょっとでひとりが

かかる病気です。100人というと、学校の2クラスから3クラスにひとり。とても珍しいというわけでもなく、かと

いって決して多いわけでもない、特殊な病気でしょうか。その頃、治りにくい、社会で生活するのがむずかしい、

どちらかといえば社会から隔離しておいたほうがいいというわけで、精神病院というのは、総合病院からも離れ、

どこか辺鄙な場所にひっそりと建っていることが多かったように思います。精神科医という仕事も、そういう辺鄙

なところで、ひっそりと仕事している人たちでした。

ところが今では、一生の間に精神科にかかる人は、なんと4人にひとりだと言われています。100人にひとり

だったのが、100人に25人、なんと24人も増えてしまったんです。その間に、何が起きたのでしょうか。

どんな風に変化したのでしょうか。わたしが診療の第一線で肌で感じてきたこの変化を、この間に社会で起きた

事件とからませながら、お話ししたいと思います。

統合失調症の方というのは、「手のかからない聞きわけの良い子供で安心していた」と言われることが多いの

です。そんな方が、親元を離れ社会に出たとたん、その荒波に対応できず、突然混乱して被害妄想や幻聴を

きたす病気です。病気の成り立ちはシンプルですが、「病識」といって、自分のこころが病んでいるということを

認識する力がないことが一番の特徴です。そのため、いったん治療という段には、手ごわい病気のひとつ

なんです。

10年くらいは、その病気の方の入院と外来での治療に専念していました。30数年前のこの時代は、学園紛争を

経験した世代が若くて働きざかりでしたので、どの業界も元気いっぱいだった気がしますが、精神科もそうでした。

またわたしは、どちらかというと型やぶりな医者でしたので、精神病院を開放しようという運動をおこして、鍵を

つぎつぎにとりはらったり、引きこもっている方には、積極的に往診もしました。入院中の患者さんを診るだけでなく、

精神科医の大事な仕事のひとつが往診であったり、外泊中の家庭訪問であったり、患者さんが就職した先を職場

訪問だったりしました。患者さんだけでなく、家族の相談にも積極的に応じていました。診察室という狭い空間を出て

家族や社会の中の患者さんを総合的に看るというのが、わたしが勤めていた病院の方針でした。

ところが、20数年前から、それまで診たことのなかった症状の患者さんが出現してくるようになりました。 

幻覚や妄想はない。口も達者だったり、社会でもそれなりにやれているのだけど、一方で家族に暴力をふるったり、

リストカットを繰り返したり、自殺予告の電話をかけてきて治療者を戸惑わせたりして、神経症の患者さんにはあり得ない

はげしい症状をあらわす患者さんたちです。これは境界例精神病という人格障害の一群だということが次第にわかって

きました。別名・ボーダーラインというので、みなさんの中にも聞き覚えがあるかもしれません。境界例の境界という意味は

統合失調症ほど自我の弱い精神病でもなく、かといって神経症よりは重い。そのふたつの境界に存在するという意味です。

はげしい症状をくりかえす、そういう患者さんたちの治療の右往左往してまた10年ほどたったころ、つまり平成になった

ころから、神経症圏の患者さんが増えてくるようになりました。不安神経症であるとか、強迫神経症であるとか、うつ状態で

あるとか、あまり精神病的な要素がなく、学校や会社に行ってはいるのだけど、何かしら悩ましい、困った症状があって

精神科に来る方たち。ごく普通の会社員であったり、学生であったり、主婦であったりする方たちが目立つようになり

次第に増えてきて、大半をそういう人たちが占めるようになりました。

その時期を同じくして、わたしも「社会復帰しよう」という気持ちになってきました。

社会で働いているわたしが「社会復帰」というのもヘンかもしれませんが、自分としては、重症の統合失調症や境界例

精神病の患者さんを相手に奮闘して磨いた医者としての腕が、一般社会の、軽いこころの病の方の病気をよくするのに、

どれだけ役たつかためしてみたいと思うようになっていたのです。それをわたしは「わたし自身の社会復帰」と呼んでいて、

この年齢になってから総合病院で働くようになったのも、本を書いたり講演をするにも同じ社会復帰路線の線上の

つもりです。

そういうわけで地方都市の繁華街の一角で神経科クリニックを開業したのは、今から17年ほど前のことでした。

8月 17th, 2008

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わが家のまわりは今、24度だ。

下界より12度ほど低い。

だからかなり涼しいのだけど、涼しさに慣れると、やっぱり暑い。

家のまわりに何本かの大きな樹があって、緑のカーテン。

涼しさはこの樹のおかげ。

わが家はクーラーがいらないぎりぎりの暑さ。

8月 16th, 2008

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休日の朝早く。

誰も起きてこない静かな時間。

冷気さえ感じる森のテラスで 

ひとりコーヒーを飲んだ。

そのうち、猫も起きてきて、なんとのんびり くつろいでいるのだろう。

にぎやかになる前の、こんなひとときが好きだ。

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8月 14th, 2008

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わが家の小鳥用のえさ入れに、めずらしく小リスがきていました。

背景は隣の家の屋根。

4年前に土地を買ったときには、2~3軒しか建っていなかった周囲に

この4年で、新たに7~8軒も家が建ち,周囲には空き土地が少なくなってきました。

今はお盆なのでめずらしく人が行き交い、ひなびた「〇〇銀座」ってな風景です。

8月 13th, 2008

こころの病気とは何か? 

のところで、いまだに自分なりの解答が出ずに苦しんでいる。

パニック障害なんていうのも、こころの病気ということになっているけど

交感神経の緊張が続きすぎたあまり発症する体の反応だ。

精神科で治療はしているんだけど、でも、本当に心の病気なんだろうか。

ストレスが続いたからだと言われたらそれまでだけど、ストレスなんて心身に対して

くるもので、心にだけくるわけじゃない。

反対に、殺人事件なんかをおこした少年、青年なんかは、「これは病気のせいではない」と

言われる。

たしかに病名のつく、精神的疾患はない人がほとんどだと思う。

だけど、両親とさえ、ちゃんとした会話や話しあいができず、気持ちの交流が

できない人、ゲームやパソコンにばかり依存している人が 本当にこころが健康

だろうか。こころが健康なんかじゃあ、ぜったいないと思う。

でも、精神科には来ないし、治療の対象にもならない。

ストレスが体の反応として出たパニック障害がこころの病気で、

簡単に切れて事件をおこしたり、不健康な生活を続けていたり ひきこもったりする人が

こころの病気ではないと言われる。

わたしとしては それって 反対じゃないか と思ってしまう。

でも、きちんと大衆を説得する理論をわたしは持っていない。能力はない。

だから はがゆい。

たとえば、事件を起こした人が、起こす前に精神科に来たとする。

事件を起こしそうでこわい、と真剣に悩んでいたら相談に乗れる。

だけど、親が無理に連れてきても、相談にはならない。

ということは、「自分の問題に気づき、自分の問題を考え、解決していこうとする気持ち」

がある人は、問題や症状があっても健康的だと思う。

悩む能力があるってことは健康的な証拠だと思うが、現代では 悩むのはだめな

ことになっている。悩まず、楽しく、プラス思考で。。。というのが、良い生き方ということに

なっている。

治療するかしないかは、悩んでいるかどうかでなく、精神症状があるかないかだけなんだ。

支離滅裂なことを書いてしまった。

私の書いたことをわかってくれる人は、少ない。知識があり、自我も確立した人でないとわかって

もらえないと思う。

でも、本も講演も、知識のない人に対してわかってほしくてやるわけだから、私が本を

書いたり、講演をする能力は、今のところないと思う。

だからずっとこのところ悩んでいる。

 でもわたしの論理からすると私自身は「自分には力がないからと悩んでいる」ぶん、まだまだ

健康的で救われる可能性があるということになる。

こころの問題は抽象的なので、お気楽に仕事だけしているぶんには、むつかしくないかも

しれないが、こだわりだしたら、何がなんだかわからないむつかしい仕事である。

8月 12th, 2008

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都会ではカーシェアリングが 普及しているという。

都会で車は一家に一台も必要ない。一台を何人かで使おうという考えだ。

私の友人の娘さんも、東京で家賃8万のアパートを、ボーイフレンドでもない男性とシェアしている。

古い考えの人から見たら「??」だが、合理的で私には共感できる。

          ☆       ☆      ☆

さて私は最近、クリニックをシェアすることにした。

わが家から車で5分のところに、可愛いログ風の内科診療所があることを知った。

オーナーは素敵な女性で、女性同士ということで、あっという間に 交渉が成立した。

内科医が往診で出かけているときに、診療所とその職員を貸してもらおうというわけだ。

こんな素敵なクリニックを自分で建て、職員を雇うことになったら、一年の7割は建物と職員の給料のために

働かなくてはいけない。 「院長」という名誉のために、引きかえにするには重い負担だと思う。

また宣伝のために、けっこうあちこちの会合に出なければいけない。それも負担だ。

私が三度目の開業をする気持ちがまったくないのは、そんな理由だ。

 でも、建物と職員をシャアすると、診なければいけない患者数は半分ですむ。

7月からそんな形で、週に一回だけ診療を始めたが、昔の開業時代を思いだしてなつかしい。

診る患者さんの数が少なくてすむので、満足がいく診療ができると期待している。

レストランや食堂でも、新装改築すると、中身は必ず落ちると相場が決まっている。

経費を抑えた事業ほど、働くほうも無理しなくていいし、中身も濃くできる。

医師は「一国一城の主」を夢みて開業するが、診療報酬は低く、必ずしもそんな時代じゃないってのは知らないのね。

やっぱりわたしは、時代の一歩先でなく、半歩ほど先をいつもいっていると思う。

木の香りがする、とても温かい建物。

どんな風に展開するか未知数ではあるが、自分の考えで人生を進めていくのは楽しい。

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8月 10th, 2008

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今日の収穫はこれだけ。

と言っても、自分の畑ではない。村の人からいただいた物。

トマト、米ナス、なす、ズッキーニ、ゴーヤ、きゅうり、ピーマン、冬瓜、モロッコいんげん、セロリ、かぼちゃ。

田舎で暮らし、田舎の人と仲良く暮らせば、とても安く暮らせると思う。

それより何より、この新鮮さがナニモノにも変えがたく、ありがたい。

大のお気に入りはズッキーニで、ソテー、ズッキーニ カレー、ラタトゥユ、フライなどなど

野菜の甘みを利用し、塩味を使うだけのシンプルな料理ばかりである。

トマトもゴーヤもかぼちゃもナスも全部好き。

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                          ☆       ☆       ☆

食事はカラダにとって一番大切なものだと思う。

子供たちが独立したひとり暮らしで、ついカンタンなものばかりになっていた妹。

同居して3ケ月で、肌がつやつやとしてきた。

カラダ、特に肌には生活が正直に出るとつくづく感じた。

8月 9th, 2008

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知人の家に5匹も猫が生まれた。

もらい主をさがしているというので見に行った。

まだまだ猫を飼う自信はないのだけど、ちいさな猫を見てみたかったのだ。

抱き方もわからない、なんという不器用なこの抱き方。

でも最近生まれて初めて、猫と暮らしてみて、たしかに可愛いなって思う。

夫はもう猫にぞっこんである。夫は猫のいる家で育った猫族だ。

 「飼うか?」ってわたしに聞く。

でも私の ゴーサインがでていない。

生き物をずっと面倒みていく自信がない。

妹は「責任もないし、文句も言わないし、楽よ」っていうけど

やっぱりわたしは、文句もいい、責任も発生した子育てがとても楽しかったから

イマイチ犬や猫を飼う楽しみがわかっていないと思う。

突然もちあがった、わが家の猫騒動のゆくえが楽しみである。

予想もしなかったわが家の猫騒動である。

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8月 5th, 2008

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デージーがつぎつぎと咲きだしてきました。

可愛いです。

暑さを忘れます。

8月 4th, 2008

職場の昼休みに、内科の先生に聞いてみました。

昨日、大変だったんです、頭は痛い、おなかはすかない、しんどいし便もドブ掃除したみたいひどいのが出て

一日中寝こんだんです。前の晩にロースト ビーフを作って、美味しい美味しいってわたしばかりがたくさん食べたんです。

ふだんは、あまりお肉を食べないんですが、でも それくらいでこんなに病気になるでしょうか。

私って、すぐダウンしてしまうの。 こんな弱い自分が なさけなく思えるんです。

先生いわく。

 お肉の食べすぎでも、そうなりますよ。

あなたの胃が 受けつけないっていう拒否反応をおこしてくれたんですよ。

健康な反応ですよ。

       ☆      ☆      ☆

えーっ? 昨日のビョーキが 健康な証拠? ちょっとビックリ!

でも、そう言われると、自分のカラダがいとおしく感じられました。

こころの病気も同じなんです。

落ち込みとか、ゆううつとか、不安とかいらいらするとか、怒りとかなどのマイナスの気持ちは閉じ込めて

プラス思考が大事っていいますが、そういうマイナスの気持ちをじっくり味わうことが実はとても大切なんです。

プロの私たちは プラス思考などという言葉を使いません。

どんなにマイナスに見える気持ちも とても大切に扱います。自分のも、相手のも。

なぜそんなことが大事なことなのかについて、わかりやすく話できたらと思います。