9月 28th, 2008

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朝起きたら、温度計は5度。

さすがに着る物を厚くした。

家にいると寒いので、思いきって友達を誘って、散歩に出た。

林の中を2時間。

こんなに散歩したのは初めてだけど、歩くのだったら、何時間でも歩ける。

へとへとになった、でもすごく楽しかったし、からだも頭もすっきりした。

誰ひとり通らぬ、車も通らぬ雑木林が、何十キロと続くこのあたりは、

本当に散歩に向いている。

コンクリートじゃない道っていいね。

雑木林の中に、別荘や住まいが点在している。

野の花を愛でながら雑木林を歩く心地良さったら!

散歩しなかったら、わざわざここに住いを決めた意味がないとさえ今日は思えたのだった。

8年前に結婚したとき、わたしは相手へのメールに「趣味は散歩」と書いたらしい。忘れていた。

哲学を学ぶ、その友達が「カントもショーペンハウエルも、毎日同じ時間に散歩したんだって。

村人は、彼らが通るのを時計がわりにしたくらい、同じ時間だったって。ショーペンハウエルなんかは

今日は散歩に来ないね、と村人が言った日は亡くなっていたんだって」と友達が言った。

わたしたちも毎週、散歩しようねと決めた。

果たして実行できるかな?

9月 28th, 2008

久しぶりで、いろんな方のブログを芋づる式に見ていきました。

いやいや! すごい!!

 女性のブログの中に、写真の撮り方や文章のまとめ方など、センスあるっ、普通の才能じゃないっ、と感じるものが

あります。

これ、私の説ですが・・・・・・・・

男性ではその才能を開花した人がたくさんいます。

でも女性は、家庭に埋もれてしまって、本来の才能を開花するチャンスに恵まれなかった人がいると思うのです。

そういう専業主婦だった方が、ブログをやることによって本来の才能を開花させているんじゃないかと思う。

キャリア女性より、専業主婦の中にそういう方がぜったい多いはず。

人間を診る医師や看護師などの仕事も、教育ではなかなか変われない。

やっぱり本来の才能によることが多いとつくづく感じています。

ブログなどの美的センスも、本来の才能によるところが多いんだろうなと思う。

人間をみるセンスと、美的センスは本来違うものだから、なかなかひとりの人間の中で同居しない。

女性の才能の中には。

1、人間の気持ちを汲み取るセンス。

2、美的センス。

3、社交のセンス。

4、家事を手早くやり、家庭を整えるセンス。

5、ドンとかまえて揺らがない能力。

 などいろいろあるものだ。

ところでこれもわたしの説ですが。。。。。。

自分の長所は自分では見えない。見えるのは欠点ばかり。

なぜなら、欠点では苦労するから見えるの。

長所は自分にとってあまりにもあたり前過ぎて、自分では見えないもの。

わたしも自分の長所は自分では見えないしわからない。

自分が「長所だ」って思っているものは残念ながら、長所じゃないのよ。

ほんと、自分の顔が見えないように、あたり前すぎて見えないんだから。

たくさんの華やかなブログを見て、そんなことを考えました。

9月 24th, 2008

今日の新聞によると、専門医が学校に出向いて講演活動をすることで

エイズや性病、喫煙、などに対する啓蒙活動を国が進めているという。

国の施策の中で、若い人を教育啓蒙する施策は国の将来にとってもっとも

重要だとわたし自身は考えている。

先日、勤務先の病院で講演をした。

この病院では、毎週いくつもの講演があって、職員は辟易していると思うので

出席者は少ないと思ってはいたが、それでも 750人の職員で、50~60人の

出席は少ないと思う。

研修医や精神科の関係者にもっと関心があると思ったが、以外に関心がないので

がっかりした。

聞いてくれた方には感謝しているのだが、それでも、聞いてそれでおしまい。

次につながっていくことはほとんどない。

「面白かった」か「面白くなかったか」どちらかの感想があってそれで終わり。

それにくらべ、中学生なり高校生なりに講演したりすればその効果は測り知れないと

思う。

講演というのは、わたしにとっては時間的に無理なところがあるのだが、今までの

経験では 新聞の連載が、時間が必要でないわりに効果が大きい。

誰の目にも触れるし、若い人も読んでくれる。

なんとか新聞に連載してもらえるような格調の高い原稿を書きたいのものだと

思う。

新聞の連載は、10年前に2回と、3年前に一回。今回の引っ越しでまた

機会が遠くなってしまった。

今後の私の志高い夢であるが、実現するかどうか・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぜひ実現させたいものだと思う。

9月 23rd, 2008

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散歩日和だった。

腰の重いわたしだけど、さすがに今日のような最高の日を逃すわけに行かない。

公園まで出かけたら、スポーツに来ていた男友達に出会い、1時間くらいおしゃべりした。

普通より男性っぽさの多い私は、最近 女性より気の合う男性のほうが楽しいときが

ある。

いや、男性でも女性でもいいんだ。

私の通う美容院の先生は、女性だけど、ふたりの会話はとても楽しい。

生き方に一本筋が通っていて、ホンネでぶつかっていける人なら、男性でも女性でも

どっちでもいい。

わたしの生き方、考え方、ユニークさや、楽しさや、優しさなど、私にしかないものを見つけてくれて

それがいいと思ってくれる友人を見つけて大切にしたいと思う今日の午後だった。

飼い主さんとくつろぐ犬もなんかとっても気持ち良さそう~

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9月 21st, 2008

わたしは「優しさ」にとても敏感だ。

なんでだろう。。。。。。わたし自身が優しい人かどうかは棚上げしておくとして、

「優しさがあるかどうか」で 人を評価する強い癖を持っている。

なんでだろう・・・・・・・・・心の弱っている患者さんを診ている長年の習慣からだろうか、

それはあると思う。

それとまた、私自身がとても傷つきやすい面を持っているからだろうか。

それもあると思う。

「優しさ」って相手に対する想像力が必要。

きっと、最初は誰も持っていないのだけど、いろんな辛いことや悲しいことや後悔やいろいろを経験する中で

相手の立場に立てるように成長するのだと思う。

「この人、優しくない」と思うとすごい拒否反応をおこしてしまう私もちょっと度が過ぎるかなあと思う時もあるけど。

でもまあ、恵まれている人は、往々にして「優しさ」はないね。

これは断言してもいいと思うよ。

肩肘はって強く生きている人も、優しくないと思うことがある。

「その一言」で、優しいかどうかわかることがある。

言葉って大切にしなくてはとつくづく感じる。

ちょっと過敏すぎるのかな、ちょっと気持ちが弱っているのかもしれないな。

でも、そんなどうでもいいことに一喜一憂している弱い自分のことは、

ぜんぜん嫌いじゃない、未熟でかわいくって好きです。

9月 20th, 2008

半年がかりで、夜と休日をつぶして準備してきた講演が終わった。

半年もかけて、たった一時間だなんて馬鹿みたいだけど、本当にむづかしかった。

参加した方のアンケートを見ていたら、「すごく良かった」が3.5割、「まあまあ良かった」が3.5割

「普通」が2.5割。くらいだったかな。

「今年あった講演の中で一番良かった。また続きをやってほしい」とわざわざ言いに来た方もいた。

でもアンケートの中で一枚だけ「話にミャクラクがなく、ちっともおもしろくなかった」という人がいた。

夫に話していたら、「ちっとも面白くなかったと書いた人は、すごく頭の良い人か、すごく馬鹿な人だよ。

すごく頭のいい人だと思ったいたほうが正しいかも」と言う。

また「だいたいは、良かったと無難なことを言うのが、常識だよ」と言う。

わたしもそう思う。わたしは、決して講演が得意なほうじゃない。

話にミャクラクはなかったし、説得力もなかった。でも 自分では他人の評価とは別にとにかくよくがんばった

ことだけは認める。

「こころ」などという つかみどころのないことを話すのは、本当にむづかしい。自分が一番知っている。

          ☆       ☆       ☆

宿題のなくなった休日は、本当に楽しくて楽しくて、宿題があるというだけで どれだけプレッシャーが

あったことか、あらためて感じる。

ただ家事をするだけだったのに、心から楽しい一日だった。

プレッシャーがなく、したいことだけしている人の人生って、やっぱり気楽で楽しいのかなあ。

でも 10月の中旬までに、原稿をひとつ頼まれている。

10月の終わりにも、ひとつ講演がある。

もうちょっと気楽に過ごしたい気持ちは正直あるが、頼まれているうちが花かも、と思うので

機会をいただいたら ことわらない。

苦しむことはたしかだけど、かならず何か得ることがある、それがうれしいのかもしれない。

完璧に自己満足の世界だ。

しばらく休んだら、またやるしかないか。

9月 17th, 2008

私は声も大きく、大股で歩き、おおざっぱで、元気。

しっかり者で、負けず嫌いで男まさりな性格だ。と、自分でも思う。

わたしを可愛いという人は、まあいないだろうな。いたら気味悪いし。

 でも一方で、とても優しい一面があって、この面は、知る人ぞ知る。

人に知られていない、ものすごく隠れた一面だ。

私の優しさに気づいてくれる人は、多分、気づいた人自身が

同じ優しさを持っているから気づくのだということをよくよく知っている。

だから、私を優しいと知っていてくれる人を大事にして、そんな人としか

しかつきあわないと決めている。そう決めてしまえば生きていくのがとても楽になる。

そして、もうひとつ。

わたしが相当のマヌケだということは、これは夫しか知らない。

今日、仕事に出てきたら、夫から電話。自分のカギ束を知らないかという。

あわててバッグを見てみると、夫のカギ束で運転をしてきて、自分にバッグにしまっている。

玄関に置いてあった夫の鍵束をつかんでしまったらしい。

鍵束なんて、ついているホルダーもカギ数も違う。

気がつかないなんておかしい。でもこんなことはしゅっちゅうだ。

夫は相当困ったらしい。

こんなこともあった。

ある日、私は履いている靴がちょっと大きい気がした。

夫に「最近 わたし痩せたみたいなの。靴が大きく感じるわ」

その靴を3日も履いてから、わたしが痩せたんじゃなく、履いている靴が

夫の靴だと気づいたのだった。

23.5 と 25.5 大きさも違う、靴も違う(メーカーが同じで似てたんです)

でもわたしってそんな人なのだ。

一番危なかったのは、ロフトにかけるはしごをフックかけないで

ただかけただけで、上っていったとき。

はしごの頂上部分に足をかけた途端、ダーンとはしごともども落ちて、わたしは気絶するほど

胸を打って倒れた。

はしごに欠陥があったのかなあって夫が心配してくれたが、

フックかけないで登ったということは、言えないままだった。

夫が作ったはしごだったから、夫はとても恐縮していた。

はしごって 斜めに架けるだけで 落ちないのかと思っていた。

この時は命びろいをした。

まあ、そんなこんなで、自分でも 自分を信用できないまま生きている。

そうそう、高速道路を逆走したこと。

実は・・・・・・・・・・・・・ある。逆走まではいかないけれども。。。似たようなこと。

幸い、患者さんの薬を間違えたり、仕事でミスをしたことはない。

仕事では周囲からも二重三重にガードされているしね。

私にとって仕事とは、最初で最後の砦かもしれない。

仕事をやめた途端、ボケた、ということのないようにしなければいけない。

9月 16th, 2008

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青い空と、白い雲。

そして赤いサルビアの対照的な色合いが

とても美しい道。

通勤道路です。

9月 15th, 2008

三連休、一日8時間くらい、パソコンに座り続けた。

なんのことはない、講演の原稿書きだ。この3連休を当てにしてたんだ。

最初は疲れたけど、3日目になったらすっかり慣れて、作家気分だ。

こころの問題って、言葉にするのに、何てむづかしいんだ!

苦しくて楽しくて、楽しくて苦しくて、苦しくて楽しくて、そして苦しくて脳が疲れて、でもまたやって。

突然、強力な助人があらわれた。

男友達っていうのかしら。男性と女性って 物の見方がぜんぜん違う。

原稿を見てもらって、意見を言われたら、書きあげた原稿が足元から崩れた。

ダダダーンって。

なんてこった!!

でそうやってごちゃまぜにすると、脳がかきまわされて、また新しい切り口があらわれる。

でもそれでいいんだ。それがいいんだ。

それがわたしの言いたいこと、そのものなんだから。

だってそうでしょ? これでいいってことないのが「心」のことでしょ?

ダ!

 「こころには実態がない」と言ったら「じゃあ こころ、こころって 安易に使うな」って言われたんだ。

じゃあなんだ、なんの問題だ。

人生の問題だ。生き方の問題だ。

どうやって生計を立てて、どうやって仕事して、どうやって家族して、どうやって死んでいくかっていう問題なんだ。

そうなんだ。時間の使いかた。同僚との関係の持ち方。家族との過ごし方。お金の使い方。

「ここ・・・」う、う、 こころ、こころって 実態のないものを 気安く言うなって 自分に言い聞かせて。 

使い古された言葉を使うのは、出来るだけ よそう。

興味深い一日だった。

9月 14th, 2008

妹が、今夜、激しく雨の降る中、新しい住まいに旅立って行った。

来たときと同じ、たったひとりで、猫のレオ君を連れて。

妹は泣き顔だった。

わたしたちは、妹に幸あれと笑顔で送り出した。

悲しみは不幸じゃない。

辛さも不幸じゃない。

離婚も不幸じゃないし、貧乏も不幸じゃない。

淋しさや孤独は不幸じゃないし、病気も不幸じゃない。

別れは悲しいけど、不幸じゃないし、リストラだって不幸じゃない。

この4ケ月、笑ってばかりいた。

美味しいといって笑い、レオ君がかわいいといって笑い、女ふたりで夫をいじめて笑い、

わたしが抜けてる、と言ってみんなで笑い、した。

すべてを失って戻ってきた妹を囲んで、笑ってばかりいた。

「気がすむまでいたらいい。でも おとなになったら 誰でも自立しなければいけないんだ」

その言葉を合言葉に、自然の成り行きで、すべてが進行していった。

人間は本当に愛され満足するとポロリと葉が落ちるように、自立できるのだ。

わが家に来たとき、妹の持ち金は一万円を切っていた、それが全財産だった、本当に。

住まいも仕事も失い、バゲットに レオを入れて、たったひとりでやって来た。

そしていまどき珍しく「つき離す主義」のわたしたち夫婦は 一円も貸さなかった。

これからの妹の人生はきびしいと思うけど、でも とてもすがすがしい。

わたしたち3人は、何物にも変えがたい出会いと別れを経験したと思う。

同じ釜の飯を食べるという経験は、すごいことだと今、思っている。